音楽ノート

 
ベートーヴェン作曲 交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱付」
1998年 彦根における第九演奏会のプログラム曲目解説より
1996年 習志野第九演奏会における別添資料より     
ブラームス作曲「ハイドンの主題による変奏曲」

ベートーヴェン作曲 交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱付」

1998年、彦根における第九演奏会のプログラム曲目解説より

 このベートーヴェンの交響曲の最後を締めくくる作品は、第8番の交響曲以降少し時間を経た1824年のことであった。ベートーヴェンの心の中には自身の理念を実現するために準備が着々と進められ、ついには純粋器楽の交響曲という枠を打ち破り、4人の独唱者と大規模な合唱を終楽章に据えることを決意したのである。その歌詞に選ばれたのはシラーの「歓喜に寄す」であった。この詩が発表された1793年には、すでにベートーヴェンは興味を示していたことが自身の手紙から読み取れるので、実際には完成の30年も前から構想を練っていたことになる。シラーの詩の内容は、神を讃え、自然の恵みに感謝し、人類愛を歌うというものであった。とりわけ「人類は皆ひとつになる」というくだりは、この第4楽章全体のテーマともなっている。
 宗教的思想を越えて全世界の人々に、こよなく愛されている名曲であることは言うまでもないが、わが国では年末に「第九」を演奏する(鑑賞する)ことが恒例にもなってきている。また人類愛のテーマはスポーツの祭典でも意義深いものとされる。本年2月の長野オリンピックの開会式では、小澤征爾氏の指揮による世界五大陸を衛星放送で結んでの同時演奏という、とんでもなくスケールの大きいイベントがあったことは記憶に新しい。
 さて、この交響曲に関する具体的なスケッチが始められたのは1815年だが、本格的には1822年から2年間をかけて作曲され、1824年5月7日にウィーンのケルントナートーア劇場での初演を迎えることになる。文献によれば当時としては異例の大編成だったそうで、80人を越えるオーケストラ(うち弦楽器は総勢48名、管楽器は全て通常の倍の人数を要した)、100人の合唱団という規模だった。この数字はおよそ2つのオーケストラ、2つの合唱団が集結した計算になる。指揮者も何と二人。実質上の指揮者の他にもう一人はどうしても振りたいと願い出た作曲者本人だった。耳の聞こえないベートーヴェンは、何かにとりつかれたように激しく指揮をしたが、演奏者は傍らのウムラウフだけを見て演奏ていたと伝えられる。終演後、会場は割れんばかりの拍手につつまれたのだが、それに気付かずスコアを凝視していたベートーヴェンの袖をアルトのウンガーが引っ張り、聴衆の方を見るよう促したのは有名な逸話である。この時ベートーヴェンは初めてこの作品が聴衆に受け入れられたことを知ったのである。

第1楽章  神秘的な導入部に閃光のような第1主題の断片がすぐさま出現するが、巨大な姿に発展し、激しい葛藤を示唆するかのような展開がつづく。

第2楽章  熱狂的なスケルツォ。時には自暴自棄のような狂おしさを孕んでいる。中間部は一転して牧歌的な気分が支配する。ティンパニの活躍が目覚ましい。

第3楽章  ベートーヴェンが残した最も美しく崇高な世界。変奏曲の極みとも言える平穏な祈りがつづく中、ラッパが最後の審判を告げる。

第4楽章  突然の嵐が吹き荒れ、低弦の詠唱が訴えかけてくる。1楽章から3楽章までのテーマが回想された後に、いよいよ歓喜の主題が奏される瞬間は感動的である。しかしバリトンのソロが「おお友よ、このような響きではなく、もっと喜びに満ちた音楽を奏でようではないか」と呼びかけ、合唱も加わり本来のテーマが展開していく。ここでも変奏曲形式が中心を占めるが、あらゆる作曲技法を駆使してクライマックスを迎えるのである。

 これまでに私は何度か「第九」を指揮してきたが、演奏するたびに毎回新しい発見があり、いつも新鮮な気持ちで指揮台に立つことになる。とりわけ教師を辞してプロの指揮者として歩み出してからの6年余りで、自分の中での音楽感、演奏に対する追求度は大きく変化した。
 それ以前に指揮していた「第九」は、実のところ自分の欲する表現ではなく、常に師匠や先達の指揮者の影響を多く受けていたことは否めない。しかし、自筆譜を入手したり、より作品の研究を深めていく中で、従来演奏されてきた第九は数多くの指揮者の解釈が慣例と化し、より浪漫的な濃厚表現になってきてしまったことに気がついた。もちろんそれらの名演奏を否定するつもりはないが、少なくとも私はベートーヴェンの意図を最大限尊重して演奏することを最優先に心がけていくようになった。今の私にできることは「20世紀という色眼鏡でスコアを見ない」ことだけである。
 ここ4〜5年、前述のアプローチによる演奏を試みてきたが、そんな折、昨年の始めにに私の考えとほぼ一致した新しい楽譜(ベーレンライター社版)が出版され、自分の考えがまちがった方向に行っていないことを確認することができた。21世紀に向けて、まだまだ第九の演奏は変化していくだろう。演奏表現とは決定的なものでなく、成長・洗煉・熟成していく上でのひとつの過程としてとらえることができよう。本日はその新しいスコアを手にして演奏に臨む。

1996年 習志野第九演奏会における別添資料より

「第九」の演奏に際して 
〜 ベートーヴェンのテンポについて 〜

指揮者 田久保 裕一


 指揮者に限らず演奏家は、作品を演奏しようとする際に、作曲家がどのような主張をもって作曲したのか、またどのような表現や演奏法を理想としていたのかを推測しなければなりません。そのために調べたり、考えなければならないことが山ほどあるわけです。作曲の背景、作曲したときの作曲家の心境、境遇、当時の演奏スタイル、様式など多くの文献を読み、数種の楽譜が出版されているときは比較をし、また自筆譜が手に入れば出版譜との相違点をチェックします。これらのことは、ごくあたりまえのことですが、すべての交響曲の金字塔であるベートーヴェンの交響曲を演奏する時には、どの作品でも指揮者は特別な思いでスコア(総譜)を前にするものです。ベートーヴェンの交響曲は言わば指揮者の「バイブル」なのですが、昔から様々な解釈が採用され、名指揮者の名演奏が残されてきました。指揮者が色々な角度から作品にアプローチをしてその結果を表現するのですから、実に多様な演奏が生み出され、そしてそれが個性となっていくものです。

 大切なことは「指揮者がどういう姿勢で作品に立ち向かっているのか、そのプロセスが一貫しているかどうか」に尽きると思います。

 ワーグナー以来楽譜の改訂が盛んになり、マーラーやワインガルトナーが後を継ぎました。その結果一昔前の指揮者においては、作曲家本人の指示よりも、指揮者個人のアイディアや感性で音楽をつくり上げていく方向に流れ、その解釈が伝統的なものと化し、また正しいものとして認められてきました。もちろんフルトヴェングラー、ワルター、バーンスタインの演奏の善し悪しをここで論ずるわけではありません。そのどれもが心打つ名演奏ですし、私も大好きです。しかし冷静に判断すると、それら前時代の巨匠の演奏はベートーヴェンの意図からひとり歩きしてしまって、全く別の純音楽作品と化してしまったとも言えるでしょう。作曲当時と現代では楽器の構造や演奏法も違いますから、当然時間の感覚、テンポ感も異なってくるわけですので、ベートーヴェンの指示したテンポを絶対に守らなければいけないというこだわりは不必要なことでしょう。

 そうした背景を踏まえつつ私は、ベートーヴェンの考えていたテンポにできるだけ近づけることを念頭に置き、その与えられた条件の中でどうしたら最高の音楽表現ができるかを追求していくことを目標としたいと思っています。何かの根拠があれば別ですが、感情移入、感情過多のあまり、作曲家の意図したテンポを大きく逸脱して、限りなく遅くしたり、やみくもに早くしたりすることに、私はどうしても抵抗を覚えてしまうのです。

 よくベートーヴェンの所有していたメトロノームは狂っていたなどと言われることがありますが、はたして本当でしょうか。第3楽章の 4分音符=60という表示は1秒間に1拍打つ速さだということくらいベートーヴェンもわかっていたはず。このテンポ指示を意識して演奏したとき、従来の伝統的なアダージョとはイメージが一変してしまいますが、変奏曲のもつ華麗な音の流れがよくわかるようになり、飾りのないベートーヴェン敬虔な祈りが新鮮な感覚で伝わってくるものと確信しています。

 第1楽章もアレグロの性格を前面に出しつつ速い演奏になりますが、衝突しあう黒雲のうなり、激情、悲観、憧れ、そして崩壊が直接的に心に突きささってくるかのようです。 第4楽章のトルコマーチ(テノールのソロ)に見られる 付点4分音符=84という表示はあまりに遅く、謎とされてきましたが、最近の研究ではベートーヴェン自身は 付点2分音符=84のつもりだったことが推測されています。ベートーヴェンはテンポのリレーション(前後関係)にも注意を払っていたことが多くの作品から読み取れます。第九交響曲でも第4楽章の最後盛り上がりのMaestoso 4分音符=60は前後のPrestissimo 2分音符=132(4分音符=264)とおよそ4倍の関係にあることから、Maestosoの32分音符はPrestissimo の8分音符とほぼ一致することがわかります。これによって一番最後に二度歌われるG*tterfunkenのfunkenはほとんど同等の音価が得られることになります。ですから習慣的に演奏されているMaestoso(テンポ表示ではなく「荘厳に」という表情語)を遅くする演奏は、決してベートーヴェン自身考えていなかったはずなのです。

 第2楽章のテンポについては以前から問題とされていました。 付点2分音符=116で開始されるスケルツォがトリオに入るときにストリンジェント(だんだん加速する)したその結果がやはり 2分音符=116 では遅すぎますし、ある版では 全音符=116となっていて、これでは速すぎるのです(ほとんど演奏不可能。リレーションも無視)。もしメトロノーム表示に関係なく演奏することが可能なら、私はこのストリンジェント後のトリオを、常識的に 2分音符=140〜150くらいで演奏したいと考えていました。最近出版されました金子建志氏による研究報告によりますと、デル・マールの見解が紹介されています。それによると、116と160 のドイツ語の発音がよく似ていてることから甥のカールが病床のベートーヴェンの口から聞き取るときに、うっかり聞き間違えたのではないかという説です。これはある程度の説得力のある見解で、私のアイディアともほぼ一致することから、最近ではこのトリオを 2分音符=160に近づけたテンポ感で演奏したいと思っております。


 今まで主にテンポの設定について述べてきましたが、私の考えがすべて正しいというわけではありません。しかし少なくともベートーヴェンのオリジナリティを尊重するという点では自信を持って主張していきたいと考えています。いずれにせよ、こうした考察が単に研究に留まり、学術的な研究演奏に終わっては何の意味も価値もありません。様々なアイディアを演奏にどう生かすかが問題で、楽譜に息を吹き込み感動できる名演奏を生み出すことこそが、私たち指揮者の最大の使命と思っています。


(この小レポートは1995年12月17日に、三重県で演奏した際にプログラムに掲載したもので、同年11月20日に脱稿。その後、1996年8月31日に2楽章について補筆したものをまとめました。第九の演奏には様々なテンポ設定の演奏がありますが、近年古楽器オーケストラによる試みや、アバド指揮・ベルリンフィルの演奏などで、私のアイディアと概ね一致する演奏が聴けるようになってきたのは興味深いところです。従来、慣用版とされてきたブライトコップフ社のスコアに加えて、ヘンレ社、ベーレンライター社による原典版出版の準備も進められています。今後「第九」の演奏が世界的にどのような流れになっていくのか、楽しみでもあります。)

 

ブラームス作曲「ハイドンの主題による変奏曲」についての私見

 ブラームスが作曲した管弦楽作品には協奏曲を除くと交響曲が4曲、そして管弦楽曲が3曲ある。3つの作品のうち「大学祝典序曲」と「悲劇的序曲」に比べて、この「ハイドンの主題による変奏曲」(以下ハイドン・ヴァリエーションと略す)は、最も演奏頻度の少ない曲である。なぜあまり演奏されないかというと、いくつかの要因が考えられるが、第1に楽譜が非常に難しい。もしかしたら交響曲も含めたすべての管弦楽作品の中でも一番の難曲かも知れない。第2に他の2曲が親しみやすいメロディを使ったり、派手な演奏効果があったり劇的であるのに対して、「ハイドン・ヴァリエーション」は、そのテーマがあまり有名ではなく、また地味なところから音楽づくりが難しいこと。第3に、演奏時間が中途半端なので(他の2曲は13分程度)20分近くを要するこの曲は、演奏会の最初には重すぎるし、中ほどに演奏する際には他の曲との組合せやバランスが難しい。等々のリスクを抱えるからだと言えるだろう。しかし個人的には私はこの「ハイドン・ヴァリエーション」をこよなく愛しており、音楽的にも完成された作品と崇拝しているのである。

 変奏曲は古くからたくさんの作曲家が、数々の試みをくりかえして名曲を残しているが、この作品は後に第4交響曲の第4楽章でみられる荘厳な「パッサカリア」の予感を感じさせるものである。またブラームス特有の管弦楽法を駆使して作曲されており、第1交響曲完成前の、若きブラームスの集大成とでも言うべき作品となっている。変奏曲の従来の考え方から大きく発展させ、元々のメロディが完全に隠れてしまっているかのように、新しいメロディが次々と現われてくるのも魅力の ひとつと言えるだろう。

 テーマはハイドンの作曲した、管楽器8本からなる「野外のパルティータ」のうち、変ロ長調の第2楽章から引用されたが、この曲は管楽器5本からなる「ディヴェルティメント」にも使われている。このオーストリアの伝統的な巡礼歌を、ブラームスは直感的に変奏曲のテーマに相応しいものと判断したのだろうか。このテーマは非常に覚えやすい明解なメロディで、和声も単純であるが、それに反して独特なフレーズで構成されている。通常、私達の耳は4小節のフレーズに慣れているが、この曲の前半は5小節フレーズが2つ。また後半は2つの4小節フレーズの後に、最初に戻った感じになるが、これは4小節に縮められており、最後に7小節の終止型が加わるという「異質」 な感じが否めない。以下、各変奏曲に私の独断で「表題」をつけてみたが、これはあくまでも鑑賞のための参考程度に留めておいていただきたい。

 第1変奏「幸福」 変ロ長調 4分の2拍子。主題の最後の変ロの音から発展して、幻想的に2連音と3連音が交差する。特に上行する2連音の中に「喜び」を感じることができる。

 第2変奏「ポルカ風舞曲」 変ロ短調 4分の2拍子。曲は少しずつテンポを上げてきたが、ここでは付点音符を多用して、躍動感を強調している。ポルカというほど明るくないが、木管楽器が主役となり、弦楽器がピチカートやスタッカートで伴奏をつけて、舞曲風な性格を醸し出す。

 第3変奏「子守歌」 変ロ長調 4分の2拍子。一転して緩やかなテンポで、優しい旋律が続く。8分音符を主体とした弦楽器の流れの中に見え隠れする、木管楽器の16分音符の細かな伴奏は、そよ風に吹かれ、暖かい陽光を浴びながら心地よい眠りを誘うかのようだ。

 第4変奏「孤独」 変ロ短調 8分の3拍子。アンダンテとなり、ひとり寂しくトボトボと湖畔(バイエルンの山中のシュタルンベルク湖)を歩くブラームスを連想させる。ここでも8分音符と16分音符の対比が見事な効果を上げ、悩みや葛藤など、心の揺れを表現する。

 第5変奏「スケルツォ風舞曲」 変ロ長調 8分の6拍子。突然速度を増し、再び舞曲となる。喜びにあふれ、軽快に進んでいく。複雑なリズムが絡み合い、全曲中もっとも難易度の高い曲で、一分の気の緩みや隙があれば、たちまち曲は崩壊への道を辿るであろう。

 第6変奏「大自然」 変ロ長調 4分の2拍子。全曲中もっとも力強い音楽が繰り広げられる。アクセントも多く、後半には初めてフォルティッシモが現われるが、火山の噴火かマグマの変動か、いずれにせよ大自然の息吹を強烈に感じることであろう。

 第7変奏「祈り」 変ロ長調 8分の6拍子。シチリアーノ風の魅力的な旋律が織りなす、敬虔な祈りの世界が広がる。第6変奏後半のオクターヴの下降音型を引き継ぐヴィオラとフルートで始まるが、その楽器法にも注目したい。またこの曲の後半で現われる、ヴァイオリンによる2オクターヴ以上の上昇フレーズにより、全曲中の音楽的クライマックスを形成している。  この曲が私は一番好きである。

 第8変奏「不安」 変ロ短調 4分の3拍子。再び短調になるが、神秘的な響きの中、速いテンポで進められるが、低弦の不気味さと、ピッコロを使った木管楽器の退廃的な節回しが対照的である。リズムが微妙にずれて書かれており、演奏する側も「不安」に陥ることもしばしば。

 フィナーレ(パッサカリア)「古き良き時代への憧憬」 変ロ長調。長いトンネルをぬけると感動的な終曲が。パッサカリアは古い時代の舞曲。低音による5小節の旋律が全曲を貫くこの「古風な」形式を最後に使用したところに、ブラームスの意図を垣間見ることができる。第4交響曲の終楽章でも同様に使用している。様々な変奏の後に、満を持して出るトライアングルは感動もの。ブラームスはハンガリー舞曲第3番や第4交響曲の第3楽章などでも、効果的にトライアングルを使っているが、この曲にはまた格別な思いが込められている。



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