99年10月1日
・・・子供たちのふたつの表情・・・

今年の夏は青少年のオーケストラを指揮する機会が多かった。名古屋青少年交響楽団に始まり、船橋ジュニアオーケストラ、三重ジュニア管弦楽団と続き、現在は岐阜県の岐響ジュニアオーケストラとの本番を控えている。

 以前、私自身スクールオーケストラの指導の経験があったので、教職を辞してからも、若い豆音楽家との付き合いは多いのだが、これほどまでに本番が重なったのは、初めてのことである。

 大人のオーケストラの指揮と青少年に対するそれは、多少意味合いが違ってくる。そこには教育的配慮というものが加味されるのだ。音楽の練習はとりわけメンタルな面がかなりの影響を及ぼすわけで、こどもの場合、まず最初に指揮者との信頼関係が成立しないと、演奏会を成功に導くことは難しい。音楽的なきめ細かい指導はもとより、時には生活態度やあいさつ、躾にいたるまで心配りをする必要がある。

 こどものオーケストラだからといって、私は他の大人のアマチュアオーケストラやプロのオーケストラと違った音楽づくりをするわけではない。大人と同じ作品を練習しているのだから、音楽に対する姿勢はいつも同じ。ただ指導のプロセスが違うだけである。何しろ何も色のついていない純真な心に、こちらから迫っていき、アメとムチを使い分けながら、時には厳しく、また笑いも取りながら接していくのだから、苦労も多いが、責任も重大。それだけに練習や演奏がうまくいったときの喜びはひとしおである。こどもたちを今以上にもっともっと音楽を好きにさせてあげたい、との欲求が私の中で高まってくる。

 私はこどもたちの二つの表情が好きだ。ひとつは本番前のステージ裏での緊張した顔。普段偉そうなことを言っている子も、この時ばかりは、どうやって緊張を紛らわそうか必死である。今にもオモラシしそうな態度、妙に浮かれてテンションの高い子、こちらに握手を求めてくる子、見ているだけで楽しいものだ。そしてもうひとつは演奏が終わったときのさわやかな笑顔、感動のあまり見せる涙、自信満々の誇らしげな顔。何と素晴らしいのだろう。こうした一人一人の表情に接するときこそ、私の至福の時である。

 昨今、学級崩壊とか、不登校症候群などとマスコミに騒がれている教育現場だが、キラキラと輝く豆音楽家たちの目を見ていると、まだまだ日本の将来は明るいと確信する。音楽をやっている若者は皆、いい笑顔をもっている。中には学校で集団に馴染めない子もいるが、オーケストラの練習には欠かさず出席するとういう。オーケストラの中に自分の居場所を見つけているのだろう。大切に育てたい。

 ジュニアオーケストラには様々な運営の態勢がある。私がこの夏に関わった4つの団体は、全面的に県や市などの行政が運営している団体、ある程度補助をしている団体、企業などがバックアップしている団体、まったく独自で補助を受けずに活動している団体とに分けられるが、どの団体も指導に充てる十分な予算や楽器の保有、練習会場の確保などが行き届いているわけではない。

 3年後には学校週五日制が完全施行されるが、こうした社会教育の果たす役割は益々大きくなっていくだろう。生涯教育というと、一般的には老後の充実した活動にのみ照準を合わせているように感じるが、未来を築く青少年たちの教育環境整備も怠ってはならないと思う。