99年7月1日
・・・カザフスタンに招かれて・・・

5月の下旬、カザフスタンに行ってきた。現地のオーケストラのコンサートに指揮者として招かれたからである。たった2日間の滞在だったが、内容が濃く、超ハードスケジュールをこなしてきた。

 サッカーの試合等でカザフスタンの名前だけは知っていたが世界地図を見てびっくり。中国の西、中央アジアに位置し日本の6・7倍はあろうかと思われる広大な国土、草原と石油資源に恵まれた国である。1991年にロシアから独立したばかりの国で、 100以上の多民族国家である。ロシア系、カザフ系の半々で主に構成されているので、顔も大き く二つに大別される。カザフ系の人はほとんど東洋人と同じなので、私などはすぐに同化してしまう。ただ1人1人の民族意識は強く、自分の祖先は何系の、どこの部落の出身かを言えるそうで、日本では今や死語となってしまった「愛国心」を重んじている。

 今回招待されたフェスティバルは日本流に言えば、成人式と高校の卒業式をミックスしたようなイベントで、中央スタジアムに26,000人を動員して祝う祭典で、午後8時から始まったセレモニーに引き続き、会場はロックコンサートのライブと化し、国内から集まった若者が夜の12時まで、ほとんど総立ちで盛り上がっていた。国や市の力を顕示するかのようなビッグな企画で、若者の愛国心を高め、社会での貢献を意識されるために大人が企画した祭典だが、時間設定や内容など、日本人には理解しがたい感覚も多々見受うけられた。オーケストラの演奏は、翌日この祭典の一環として、コンサートホールで行なわれた。

 2日間、通訳の学生が付いたが、私が到着した日に、この青年に「日本での通訳の仕事が決まった」という吉報が届いた。彼は「田久保さんが幸運を運んできてくれた」と大はしゃぎだった。カザフ人は元来遊牧民族だったことから、古くからの特有の言い伝えも数多くあるという。彼と話しているとそういった故事、諺が次々に出てくる。その一つに「お客様は幸運を運んでくるので大切にする」という。実際私も丁重なもてなしを受けたのは言うまでもない。

 遊牧生活では、自らの民族血統を守る一方で、他の土地からのお客様が唯一の交流の手段だったという。経済や文はシルクロードの天山北路を通して交流されていたのである。お客様を心から歓迎するというのは、いわゆるお金をかけるのではなく、今や日本人が忘れかけている「心をこめて」という言葉がぴったりだっだ。日本では物が豊富で何不自由なく暮らせるが、反面心の豊かさが失われているように思う。

 オーケストラの練習の時にびっくりしたのは、終了時間が決まっていないことだった。午後1時からスタートした際、「何時まで練習してもかまわない、あなたの好きなだけやってください」と言われた。何とものんびりした生活ぶりだ。もしも日本だったら労働時間云々で組合が黙っていないだろう。一応6時まで練習したいことを伝え、10分前 には終了したが、もうちょっと練習しようという楽員もいて感激した。時間に追われ、また決まりに制約をされながら、あくせく動いている日本人と比べると、何とのびのびしていることか。 日本人として初めてカザフスタンの指揮台に立ち、大歓迎を受けた。国際親善という大役に何度も礼を言われたが、彼らのひた向きな生活態度や思いやり から、逆に学ぶことの多い2日間であった。

船橋市民新聞 <7月1日発行のエッセイ>より


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