99年2月1日
・・・“重い”荷物で“思う”こと・・・


「指揮者は指揮棒一本でいいから、荷物も軽くていいね」とよく言われる。そう思っていらっしゃる方が多いことも事実だろう。しかし、実際はまったく違うのである。確かに指揮棒は軽いが、一冊一冊の楽譜がとんでもなく重い。同じ曲でも数種の出版社のものがあるので、そのぶ厚いスコアを何冊も抱えて移動することになる。私は仕事柄、旅することが多く、特に関西方面には新幹線で移動する。通常はキャスター付のゴロゴロころがすケースで移動するが、この中には何冊もの重い楽譜、大きいペンケースの中には数々の勉強道具、製本するときの絆創膏や両面テープも必携だ。CDや録音機材、外国語の辞書、練習着、下着も(汗をかくので)通常の旅行者の倍は用意しておく。洗面道具やコーヒーセット、その他旅行用の便利グッズがぎっしりとつまっているので、軽く20kgは越えてしまう。まるで海外旅行だ。これに加えていつも持ち歩いている革のカバン、そして本番の衣装一式とくる。

 今回はワープロを持っての移動になってしまったので海外旅行用の大きなスーツケースに入れ替えた。(この原稿も、移動先の名古屋で書いている始末だ)衣装は宅配便で送ることもあるが、楽譜はもし紛失してしまったら大さわぎになるので、必ず持ち歩く。

 このような状態での移動は、まさに体力勝負。そこで思うことは、バリアフリーに関して。

 新幹線のホームは在来線のそれよりも結構高いところに位置しているので、必ず上りのエスカレーターはついている。そかしそれもすべてではなく、所々は階段しかない。下りのエスカレーターは最近では多くなったが、東京駅の新幹線ホームには見当らない。仮にエレベーターが設置されていたとしても、どこにあるのかの表示が明確でないので困る。車椅子の方はどうするのだろうと思う。いちいち駅員さんにいわなければならないのだろうか。新幹線の11号車には車椅子対応の座席が用意されていて、車椅子を固定するためのロープは備え付けてあるが、ホームにたどり着くまでには、まだまだ段差が多いことを、重い荷物を持って移動する私は痛感するのである。長い階段はお年寄りにとっては、上るときに体力を要し、苦労されるが、下るときはそれ以上に神経を使うものである。    

 普段の生活では何も感じなくても、何かのきっかけで不自由に感じることがある。誰しも、ある時どれか一本の指をけがして、使えない状態になったことがあるだろう。その時になってはじめて、指は5本揃っていないと力も入らなくなってしまうという、ごくあたりまえのことに気がつくのだ。            

 一般家屋にも最近はバリアフリーの考え方が広がり、段差をなくす設計が多くなってきたことは喜ばしい限りだが、これからの高齢化社会に備えて、公共施設や団体でも早急に対処すべきだと思う。まだまだ高齢者や障害者に対する配慮が足りなく、その詰めも甘いと思う。