2003年1月1日
・・・一家だんらん・・・

 一家だんらん  (2003年1月1日号)普段テレビドラマを見ても涙など流すことはないが、昨年の9月17日だけはポロポロと泣いてしまった。小泉総理が初めて北朝鮮を訪問し、日朝首脳会談実現した午後、テロップで「拉致された13人のうち8人が死亡」という文字が流れたとき。テレビに見入っている私に対して子どもが「パパ、泣いてるの?」と近寄ってきた。そういえば子どもたちの前では、今までけして涙を見せることはなかったと思う。でもこの日だけは違った。日朝間の歴史が大きく変わった日。今、何が起きているのかを子どもたちに地球儀を持ち出して説明した。 

 今回の北朝鮮による拉致事件は、日本中の人々が関心を寄せたが、私にとっては人ごとではない気持ちでいっぱいになった。新潟から1977年に拉致され、未だ生存が確認されていない横田めぐみさんは、音楽が好きな13歳の中学生だった。ちょうど私の長男と同じ歳である。そして帰国した5人のみなさんは私と同じ年代だということ。24年間、日本に帰ることをあきらめさせられ、かの国でつらく不自由な生活を強いらされていたこと。一番自由で楽しいはずの20代30代が奪われてしまったのである。10月15日タラップから降りてきた5人の表情は硬かった。24年間の苦しみが、顔のシワ1本1本に込められているような気がした。最近では彼らの表情も柔らかくなり、笑顔まで見られるようになった。一時帰国から永住帰国へと気持ちも変わっていき、先日はついに「金日正バッジ」をはずした。でも心からの本当の喜びは、子どもたちとの再会ができたときなのだ。 

 日朝首脳会談から3ヶ月、5人の帰国から2ヶ月以上が過ぎたが、その後の日朝正常化交渉は一向に進んでいない。というよりむしろ悪化していると言わざるを得ない。結局北朝鮮に残された家族は日本に帰ることも許されず、交渉カードとされてしまっている。このままで良いはずがない。また飢えに苦しむ北朝鮮の子どもたちの悲惨な映像が数多く報道され、胸が痛み何とかしてあげたい気持ちが高まる。しかし今の北朝鮮には義援金も食糧援助も役に立たない。この問題は国家間の問題なので、私たち一般国民は何もする術をもたないのだから歯がゆい気持ちでいっぱいだ。政府に対して、今年はさらなる真相解明と正常化に向けた交渉の前進を願うばかりである。 

 私は前の晩どんなに遅く布団に入っても、翌朝はできるだけ子どもの登校時間には起きるようにしている。朝の「おはよう」と一言「しっかりがんばってこいよ〜」と声をかけるのが習慣となっているからだ。「行ってきま〜す」子どもたちが玄関を開け、カチャっと門を開ける音がする。窓越しに手を振ると、向こうからも振ってくる。何気ない朝の会話、元気に学校に行く日常の風景に幸せを感じる日々である。3人の子どもたちはそろって2学期も皆勤賞だった。不登校とはこれからも無縁であってほしい。 

 寒い冬が続いている。我が家では10数年ぶりにコタツを出した。「いいもんだねえ、コタツは」と子どもたちから次々にもぐり込む。こたつの中に何本もの足が入り、重なり合って場所取りをしてからみかんの皮をむく。あらためて一家団欒という言葉をかみしめてみる。漢和辞典によれば団も欒も丸いという意味だそうだ。そして欒は「まどか」とも言い、人が集まって楽しむさまを表している。そういえば旧漢字の「楽」という字にも似ている。今年も我が家では家族そろって正月が迎えられた。「今年一年も健康で勉強や運動をがんばるように」と毎年のように言っているが、それに今年は「家族が全員そろっている幸せに感謝し、一日一日を大切に生活しよう」と付け加えた。世界では暖かい部屋で、一家そろって新年を迎えることができない人たちが何百、何千万人もいることをわかってほしかった。 

 帰国された5人のみなさんにとっては、残された家族が全員帰国してこそ本当の正月が迎えられるのだろう。その日が一日も早く来ることを、また行方不明になっている他の拉致被害者のみなさんの消息が早く確認されることを祈って。今年こそ良い年でありますように。


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