2001年8月1日
・・・自然の恵み・・・



 息子の友だちが我が家に遊びにきたときのこと。出しっぱなしにしてあった息子の小さなチェロを見つけて、目を輝かせて「何これ?」「どうやったら音が出るの?」「そうか、こうやったら音が変わるんだ!」と矢継ぎ早に質問をあびせてきた。なんという純粋な目をしているのだろう。驚きを隠さず、素直な気持ちを表現できる、まっすぐな心に「子どもらしさ」を感じ、妙にいとおしくなった。

 先日、ある本を手にした。「センス・オブ・ワンダー」という薄い小冊子で、著者はレイチェル・カーソン。わずか六十ページのこのエッセイ集をいっきに読んでしまった。直訳すると「不思議さに驚嘆する感性」ということだ。自分の子どもとの日々の生活の中で、発見する自然の不思議、生き物の神秘、そしてそれを受け止める子どもの素直な驚きと豊かな感性が、さりげない表現で綴られている。美しいものを「美しい」と感動できる心。二十一世紀の教育の最重要課題だ。その心を養うには、まず美しいものに触れることが大切。その美しいものは、まさに自然そのものなのだとカーソンは記している。

 森の中にはいろいろな音が混在する。例えば風の戯れる音、木々の葉がおしゃべりをしている音、草花の芽を吹く音。そうした感性は、都会に住み、近代的な生活に慣れてしまった大人が忘れてきたことだと思う。子どもの目は無垢であり、純粋である。そしていつも新鮮な感動に満ち溢れている。こうした感性を、ひとつずつ年をとって大人になるにつれて、ひとつずつ捨ててきてしまっているのだろうか。残念なことだ。自然は無言のうちに多くの神秘、摂理を私たちに教えてくれるものだということを再認識する必要があるだろう。「地球の美しさに深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう」という一説は特に印象深く心に染み入った。

 訳者あとがきを読むと、カーソンはアメリカの生物学者であり、内務省の魚類・野生生物局の専門官だったという。彼女の代表的な著書に「沈黙の春」があって、今から四十年も前にこの本を通じて環境汚染と破壊を警告したという。 

 夏休みに入る前のある日、下の息子が目を輝かせて帰宅し「パパ、さっき空を見ていたら、白鳥が飛んでいたよ」と言う。「本当?」と聞くと「だって白くて首が長かったもん」と。それからしばらく渡り鳥の話しになった。我が家の近くには「谷津干潟」という鳥獣保護指定の野鳥の楽園がある。日曜日にもなると全国から野鳥愛好家が望遠鏡をもって集まってくるスポットだが、近くにすんでいると、こうした残された自然があたりまえのようになってしまい、市民のボランティアによって、ごみが取り除かれ、渡り鳥と触れ合うことができるようになった頃の感動が薄れてきてしまった自分が恥ずかしくなる。自然の大切さをこの夏休み、もう一度考え直してみようと思う。
戻る