2001年6月1日
・・・きまり・・・


 きまりとは人間が生活をしていく上でのお約束事である。そのきまりが納得をしたうえでのものならば従おうと思う反面、一方的に決められてしまうと、どうも抵抗したくなるのが人の性。

 私は常々電車の「優先席」には疑問を感じていた。確かにあの席は、お年寄りや身体の不自由な方、妊婦さんなどにゆずる席として確保はされているが、裏を返せばそれ以外の席は「ゆずらなくても良い」という解釈をする人も出てくるわけである。一方優先席は「ゆずらなければいけない」という強制的な意味合いが発生し、どこがギスギスした人間社会が形成されてしまうようで、納得いかなかった。

 そんな矢先、先日関西で阪急電車に乗ったときのこと、内心「やった」と思った。他の私鉄はわからないが阪急では優先席はなく、車両のいたるところに「おゆずりください」のステッカーが貼ってあるのだ。つまり全席が優先席ということか。阪急の大英断、心意気に喝采を贈りたかった。ステッカーに限らず車内アナウンスなどで、ゆずりあい精神を浸透させていくことは今後もできるだろう。

 電車では降りる人が先というのは常識。ところが先日、こんどは名古屋近郊でのこと、私が大きな荷物を引きながら電車を降りようとすると、まだ降りきっていないのに、3人の中学生がずかずかと入ってきて、私の肩におもいっきりぶつかった。血の気の多い私の性格上、その場で黙っていることができず「降りる人が先でしょ」と言ってやった。内心は語尾を「先だろ」と怒鳴ってやりたかったのだが、トラブルになってもまずいので、諭すように言ったわけだ。逆恨みされて逆に殺されてしまうという事件が最近地下鉄の三軒茶屋駅で起こったばかりだから、他人に注意することに慎重になるのは仕方ない。しかしこういう光景を見ても、他の大人は誰も注意しないのだから、困ったものだ。

 私が中学の教員だったころ卒業遠足で富士急ハイランドに3年生を連れて行った。そのときの服装をジャージにするか私服にするかで、教員同士大いに議論を闘わせたのだが、服装点検をして子ども達みずからの手で「ふさわしい服装」を判断させようということになった。結果は大成功。子どもたちは自分でちゃんと考えて、中学生らしい服のきまりを決め、それに従った。現地に着くと他の学校はほとんどがジャージ姿で、かえって私服の我が校の子ども達が目立って掌握しやすかった。教師の決めつけではなく、子ども達が自分で考えてつくったきまりだから、彼らものびのびと楽しくスケートに興じていたのを思い出す。こうしたことから教師と生徒の信頼関係も生まれてくるものだ。

 前森内閣の時に「教育改革」と銘打って、小中学校で授業の中に奉仕活動を組み入れることを提唱した。これにはいささか疑問である。ボランティアは強制をしたときにボランティアでなくなるからである。もっと別の方法で「おもいやりを持った豊かな心」を育てる教育ができるはず、と思っているのは私だけではないだろう。
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