2001年3月1日
・・・便利になった買い物・・・

 昨年末、我が家の近くに三つの大型量販店が相次いでオープンした。開店の日には、駐車場に入ろうとする車で長蛇の列ができ、新習志野駅に近寄れない状態で、近くの住民は少なからず戸惑ったに違いない。いったいどこからこんなに人が集まってくるのか不思議でならない。続いている不景気も、どこ吹く風といった盛況ぶりだった。

 しばらくして、本屋さんで一冊の本を見つけた。今までに買ったこともない月刊誌で「食品商業」という。その背表紙の幕張「カルフール革命」というタイトルに、つい誘われて買ってしまった。内容は非常にマニアックなもので、商業戦線について細かく分析してあった。これら大型量販店は何でも、新しい商法で、市場に参入した有様は、まるで黒船でも到来したかのような白熱ぶりだった。そういった商法を画期的と見る目と、やや批判的にレポートする両者があって、とても興味深く読んだ。

 確かに私たちをとりまく最近の消費生活には、目覚しい変化がある。通信販売はもとより、今やインターネットで何でも買える時代。外国の楽譜もクレジット決済で難なく入手できるようになった。

 ただこうした量販店や通販、インターネット購入に際しては、いわゆる売り手と買い手の心の通った買い物が成立しない。ただ安さの追求のみに関心が集まってしまうのには少々の疑問を感じるのである。

 通販でもひとつだけ手を出さないのは「楽器」である。メーカーや型番が決まっている商品なら別だが、やはり実物を見ないで楽器を購入するのには抵抗を感じる。年末に遠距離の親戚の家に遊びに行ったときのこと。なんと数千円でヴァイオリンを買ったというので、見せてもらった。通販で送ってきたそうだが、どうも音がうまく出ないというのだ。楽器を見て驚いた。たぶん中国製かなにかの安い楽器と見たが、何と駒が削ってないのだ。四本の弦に沿って微妙にカーブさせないと音など出る訳もない。本来なら楽器屋さんに修理に出して削ってもらわなければならないが、楽器を買ったくらいの値段がかかる。とりあえず応急処置として、その場でカッターナイフで削ってあげることにした。初心者にとって、どういう状態がベストなのかわからないまま、楽器を持つことは危険ということだ。

 私が小学生の頃、学校に納めていた楽器屋さんのトラックに「伝統と信用で楽器を売る店」と書いてあったのを思い出した。今でもそう書いてあるのかもしれないが、こうした商売には決して安売りだけでは得られない満足感があるものだ。一般の小売業者には値下げの限界がある。量販店や通販ほど安くならないにしても「心」の通った商売に魅力を感じることもある。

 子どもの頃毎日のように通った「駄菓子屋」さんのオバチャン。十円の魚肉ソーセージが妙になつかしいのだが、水飴をおまけしてくれたり、何日か店に顔を出せないでいると「風邪ひいたのかい」などと声をかけてくれたものだ。 欧米の商法がいかに合理的といっても、やはり日本の小さなお店が恋しくなることがある。「御用聞き」という言葉はもはや死語になりつつあるが、電気関係の修理のことでは飛んできてくれる町の電器屋さん。毎月音楽雑誌を届けてくれる本屋さん、週ニ回来てくれるクリーニング屋さん、毎週一回必ず訪問してくれるヤクルトの販売員さん。みなさん頑張って欲しいなあ。


戻る