2001年2月1日
・・・成人式と若者・・・


 1月9日、成人の日。この日私は兵庫県のとある市民会館でオーケストラの練習をしていた。すぐ隣のホールでは、今まさに成人式が始まろうとしている。会場整理の市の職員がしきりに「あと2分で式が始まりますので、中にお入りください」と混乱を収めようと必死だった。高知県では、橋本知事が一括する場面も。そして逮捕者も出してしまう有様だった。その日の夜のニュースでは、この光景が写し出され、また祝辞をボイコットする市長など、荒れる成人式が報道された。

 なんでこんな世の中になってしまったのだろう。二十歳は、選挙権を与えられる重要な節目である。大人としての自覚の感じられない、このような若者たちに簡単に選挙権を与えて良いものだろうか。「話を聞けない若者」の前に「話を聞けない小学生」が目に浮かんだ。マナーの悪さがどんどん低年齢化する中、やはり幼児期の躾ができなかったツケがまわってきたのだろうか。この憂うべき嘆かわしい現状は、若者だけの責任ではない。彼らをとりまく社会、大人の責任でもあるはずだ。

 「叱ることのできない親」「叱ることをためらう教師」も要因のひとつだ。今や地域が子どもを育てる例は数少ない。「こわいオジさん的存在」もいない現実で、どうやって常識的な考えを身につけさせるか、教育の根本を考え直さなければいけない時期にきていると思う。自己中心の若者を育てたのは、他ならぬ今の「大人」であることを再認識したいと思う。

 成人式廃止の意見もある。確かに今のままでは税金の無駄遣いと言われても仕方ないが、だからと言って廃止したのでは現実逃避にしかならない。有料で「選挙権授与式」をしたらどうかという意見もあるが、どれだけの若者が賛同するだろうか。

 お隣の市川市では、若者による実行委員会をつくり、各種コーナーやアトラクションを設け、式典も希望者とはいえ満席。意義深いものになったという。こうした成功例もあるのだから、やはりやり方に問題があると言わざるを得ない。この機会に「成人式」を見直すのもいいだろう。

 冬休みに二人の若者が訪ねてきた。教え子の川田君とは数年ぶりの再会だった。彼は高卒後アメリカのアーカンソー州ででピアノの学んでいる。今は大学院に進むかどうか考え中とのこと。彼が我が家のピアノを弾くと子どもたちも目を丸くして見ていた。高校中退後ニューヨークに渡り、作曲と指揮を勉強中の木村君は、三重ジュニアオケの初代団長で、8年前からいろいろと相談を受けている。彼が一時帰国の折、我が家に一泊し、音楽談義に花が咲いた。彼も次の勉強の地を探している。ハリウッドですでに作曲家として仕事を始めている鋒山君は会津出身。中卒後渡米し、作曲の勉強をしてきた。彼の作品のCDを送ってもらい、木村君と聴いた。センスのある音作り、多様な作曲技法を身につけ、将来が楽しみだ。

 3人の青年の共通点は、目的意識をもって若くして渡米し、苦学していること。そして目標を高く持って妥協していないこと。また、そろって非常に礼儀正しいのが印象的だった。人知れぬ苦労が、そうした人間性をつくりあげるものなんだと、しみじみ感じさせられた冬休みのできごとであった。同時に、あの成人式で暴れまわっていた若者とのギャップも感じさせられた。彼ら3人には是非とも成功して欲しいと、心から応援したい気持ちでいっぱいだ。
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