2000年7月1日
・・・演奏会での拍手・・・

 クラシック音楽のコンサートはどうも苦手だという方に理由を尋ねると「どこで拍手をしたら良いのか、どうもわからないから」という答えをよく耳にする。確かに初めて聴く曲は、終わりがどこなのかわからないものだ。ましてや現代曲などは理解不能な場合がある。わたしたちプロでもそういう状態なのだから、一般の方にとってはなおさらだろう。

 歌舞伎などでは曲の途中で拍手や掛け声が起こったり、緞帳が下がることがよくあるが、私も周囲の状況にあわせてなんとなく拍手をするものである。オペラなどでは有名なアリアの後に必ずといっていいほど拍手が出るし、曲の間奏や後奏でやんやの拍手がまき起こるのは、ちょうどカラオケのときのそれと似ているのかもしれない。

 モーツァルトの時代には、これとよく似た状況があったことを文献は伝えている。交響曲第31番「パリ」では、速い上昇音階が聴衆に受けて、曲の途中でも音楽が聞こえなくなるくらいの喝采を何度も浴びたという。

 では現代のオーケストラの演奏会ではどのようにふるまったら良いのだろうか。よく交響曲の楽章間では拍手をしてはいけないという声を耳にするが、私はそうは思わない。本当に素晴らしい演奏だったら、楽章間に拍手をいただいても嬉しいものである。ヨーロッパなどではあたりまえのようによくある光景だ。ただし演奏が悪ければブーイングの嵐となる。幸い私はそうい経験はしたことがないが。

 一般的には交響曲のすべての楽章が終わって、指揮者が指揮棒を降ろしてから拍手をするのが良いマナーだと思う。どこが終わりかがよくわからない方は、それこそ周囲の雰囲気を感じ取って拍手をすれば良いのである。ただし落し穴もある。チャイコフスキーの第五交響曲やベートーヴェンの第九交響曲では、終楽章に終わりかなという部分がある。そこで誤って拍手をしてしまうと恥をかくことになり、演奏を中断することにもなるので、気をつけてほしいと思う。指揮者は両手を上げたまま、何もできない状況が数秒間つづく。このわずかな時間がとてつもなく長く感じるものである。私は両曲のこの部分になると、「拍手が来ないように」と、一瞬邪念がよぎってしまうのである。先日、師匠の秋山先生のレッスンの折りに、そんな話をしていたら、先生から衝撃的な昔話が飛びだした。三十年近く前、ある小さな都市でチャイコフスキーの「悲愴」を演奏されたときのこと。通常この曲の3楽章は非常に派手で、4楽章を待たずに拍手が起こり、指揮者は一息ついてからやおら悲しみの4楽章を振り降ろすのだが、その時は何と花束嬢まで出てきてしまったというのだ。流れで秋山先生は花束を受け取った後、4楽章を演奏したそうだが。終わってから主催者が「ありがとうございます。それにしても先生、長いアンコールでしたね」とのコメント。今になっては笑い話だが、少なくとも主催者は、曲の終わりくらい知っていてほしかったと、秋山先生は苦笑されていた。


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