田久保 裕一 の “エッセイ集”


2000年11月1日
・・・一枚の絵と音楽・・・


 仕事柄年にいくつかの海外の町を訪れるが、できるだけ教会と楽器博物館や美術館には足を運びたいと思っている教会のミサに参加すると、その町の人々の暮らしぶりや生活感が一目でわかる。楽器博物館の展示物はその国の音楽史を知る上で重要だ。そして美術館に行ってあてもなく、ぼんやりと絵画を見てまわる時間も大切に思う。

 ウィーンの美術史美術館ではブリューゲルの作品を多く所蔵しているので、何度か足を運んだ。初めて行った時もブリューゲルを目当てに行ったのだが、ある部屋に入った瞬間、異様な迫力に立ちすくんでしまったのを思い出す。 その部屋はルーベンスの作品を展示している部屋だった。数々の宗教画からは色彩感と言うより、強靭な精神力と強烈な臭気すら感じるのだった。

 今私は「死の島」という絵画にはまっている。来年一月に、東京のあるオーケストラでラフマニノフ作曲の「死の島」という同名の交響詩を演奏することになっているが、この曲のことをあまり良く知らなかった私は、まず曲の勉強よりも、ラフマニノフが実際に見てインスピレーションを得たと言われるベックリーンの作品をどうしても見たくなった。絵画を扱う有名書店の店員でさえも、知らない一枚の絵の存在が非常に気になったのだ。ようやく愛知県の県立図書館でやっと見つけることができ、ご対面となった。

 この時の衝撃は、あのルーベンスと出会った時のそれと同じものがあった。果たしてラフマニノフはどのように感じたのだろうか。

 貸し出し禁止の資料だったので複写申請を出して、白黒コピーを持ち帰ることにした。

 図書館での検索で、最近になって三元社という出版社から「ベックリーン・死の島」という本が出版されていることを知り、それからまた都内の書店を捜し回ることになる。何件目かの書店でようやく入手することができたが、その訳文を読み、ベックリーンが書いた五種類の微妙に異なる「死の島」を見ていると、ラフマニノフのこの作品に対する熱い思いが感じ取れるような気になってくる。

 「死の島」は今世紀初頭には異常な人気を博し、多くのレプリカや絵はがきなども出回っていたという。言うまでもなく、死者を葬る島を描いているが、実際に存在する島ではない。一説では作者本人の墓場とも言われているし、俗世間からの逃避や、文明への悲観を表わしているものだという。一方で彼は「生の島」という対照的な作品を描いていることも判った。

 ラフマニノフの曲を聴いただけでは捉えることのできなかった、この曲の独特な色合、感覚、構成感、そして不思議な生命力を一枚の絵から感じることができた。

 今度はスイスのバーゼル美術館に行って、本物の「死の島」を見たくなった。


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