田久保 裕一 の “エッセイ集”


99年5月1日
・・・ルーマニアでの節約・・・


3月下旬から4月上旬にかけてルーマニアに行ってきた。首都ブカレストから170キロメートル離れた、ルーマニア第二の都市ブラショフでの演奏会のために5日間滞在した。

 ここ数日間の最大のニュースはNATO軍のユーゴスラビア攻撃。ルーマニアも多民族が暮らしているので、関心も高い。朝から晩まで報道が続けられていた。ブラショフはユーゴの国境とはだいぶ距離が離れているのですぐに難民が非難してくることはなかったが。

 ブラショフにはコンクール以来通算5度目の訪問になるが年々町や駅の様子が変化していくのには驚かされる。ルーマニアといえば、独裁者チャウシェスクが長く政権を握り、10年ほど前にクーデターが起きたことは記憶に新しい。ビルの壁に今でもあの時の弾痕がはっきりと残っているのを見ると事件の意味の大きさを感じ取ることができる。

 その後急速に西側の文化や商品が入り込み、一見潤ってみえるかのようだが、住民の生活は相変わらず苦しいものがある。極度のインフレで5年前と現在では貨幣価値が10分の1でしかない。最近では首都ブカレストの町のあちこちに、マクドナルドが立ち並び、ブラショフにも昨年ついにお目見えした。ただし、これはとても高価な食事で、ハンバーガー1個が日本の価値に置き換えると1000円相当くらいになるだろうか。到底庶民が気軽に口にできるような代物ではない。それでも結構流行っているのだから不思議だ。

 さてこうした情勢の中、ルーマニアの人々は、明るく逞しく生活している。ラテン系の言語や血統のせいもあるのだろうか、貧しいことを苦にしていない様子だ。今だに節約、倹約の習慣が守られているのである。

 5年前ブカレストの北駅に着いたとき、夕方だったが、あまりの暗さに戸惑ったものだ。駅の売店は開いているのかと小窓から中をのぞくと、おばさんがひっそり座っていてびっくり。電車の中の照明も寝台車のように暗い。どんな高級なレストランでも電球の半分は取り除いてあって、最初からつかないようにしてある。トイレの水量も抑えてあるし、たばこは大事そうに最後まで吸い尽くす。百年以上の古い家屋でも立て替えはせずに、とことん修理をしながら大切に住んでいるわけだ。今でこそ駅は明るくなり、町の看板も輝いているのだが、こうした習慣は今もなお当然のように守られているのである。

 彼らと演奏旅行をした時、ほとんどの人たちが家からパンを持参し、思い思いにハムやチーズをはさんでいたし、彼らが来日した時など、レストランで食事はせずにコンビにで買い込んできてホテルの部屋で食事をしていたものだった。感心なのは、そのような行動を1人1人が楽しんでいること。ごく自然に食事の時間が過ぎていくことだ。それに比べて今の日本は、不景気といっても物があふれていると思う(その結果ゴミ問題にまで影響を及ぼすことになるのだが)。まだ使える電化製品でも平気で捨てるし、ボールペンだって最後まで使いきった経験もない。物資の豊かさは、心の貧しさを招いてしまうのかも知れない。これは私自身への戒めでもあるが、普段の生活の中でもっと物を大切にし、節約・倹約の精神を貫くべきだと思う。

 ルーマニアに行くと、いつもきまってこのようなことを思いめぐらし、無駄が多く、だらしない自分の生活を反省しながら帰国の途に着くことになる。

船橋市民新聞 <5月1日発行のエッセイ>より


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