* エッセイ集 *

2005年10月
・・・シベリウスと私、今むかし・・・


 今回はフィンランドの作曲家シベリウスについて書いてみたいと思います。
私は船橋市立前原小学校で4年生から合奏クラブの一員として佐治薫子先生に教えを受けていました。佐治先生と言えば教育界の魔女と言われ、合奏コンクールで数々のタイトルに輝いた指導者です。最後に私が勤務した習志野市立谷津小学校の前任者でもあり、私にとって音楽の道に進むきっかけをつくってくださった恩人です。当時バッハ先生とも言われ、実際私も4年生の時からリード合奏で小フーガ、トッカータとフーガ、カンツォーナニ短調、パッサカリアなどを演奏していました。そして昭和43年、6年生の春にシベリウスの「フィンランディア」と出会いました。コンクールの候補曲として初めてその音をレコードで聴いたときには震えるほど感動しました。また35年以上前の日本小学校で、ほとんど初めてリード合奏に金管楽器を導入したことでも有名になったと記憶しています。毎日毎日練習に練習を重ね、コンクールで演奏するころにはほとんどのパートを覚えてしまうくらいでした。そしてついには全国一位をいただくことができたのです。
小学生のころですからシベリウスと言っても「禿頭のおじさん」くらいしか覚えていませんし、フィンランディがどういう背景で作曲された曲なのかは先生に教えていただいた記憶はあっても、本当に深くシベリウスの音楽的な魅力を知っていたわけではありません。
本格的に勉強したのは大学に入ってからのことです。やはり交響曲第2番に興味を惹かれました。この曲を指揮するようになり、またあらためてフィンランディアを勉強し直しました。同時に全7曲の交響曲の勉強をしていくうちに、シベリウスの音楽感に共感できるようになってきました。

彼の交響曲全7曲は、大きく3つに分けられます。初期の1番(1899年)2番(1902年)中期の3番(1907年)4番(1911年)5番(1915年)そして円熟期の6番(1923年)7番(1924年)です。どの曲をとっても名曲ぞろいですが、一番好きな曲は?と聞かれたら、これまでは迷わず1番と7番という両端を選んでいました。初期の交響曲は4楽章構成、伝統的なスタイルを踏襲しつつもシベリウス独特の旋律や和声の処理が見られます。1番は悲劇的要素が多く、その分有名な2番よりも数段中身の濃い音楽が続くと思われてなりません。それだけに4楽章で出てくるハ長調のコラールは深く感動的で、圧政に負けず輝かしい未来に希望を持ち続けようと、民衆を奮い立たせているかのようです。これは同時期に作曲された「フィンランディア」にも通じるところです。
最後の7番は単楽章形式で、交響曲の粋が凝縮され、シベリウスの交響曲の中で金字塔を打ち立てている作品です。中期の交響曲を経て到達した精神性によって、交響曲すべての要素を網羅し圧倒的なクライマックスを築いていきます。これ以上の高みに登りつめることはもうないでしょう。7番を完成してから1957年に亡くなるまでの33年間、もう彼は交響曲を書かなくなるのです。

シベリウスの魅力はたくさんありますが、何と言っても「大地の保続音」ともいわれる低音の長い持続音は地響きのようです。そして複雑な音の重なり、急激な音量やテンポの変化は、まさに圧政下で揺れ動く民衆の気持ちを代弁しているかのようです。シベリウスの音は常に耐え忍んで絞り出すようなニュアンスを要求されます。孤独、しかしその孤独を恐れない精神力、そしてそれが生命感となり最終的には「祈り」へと続いているのだと確信しています。寒い地方ならではの北欧的な音づくりと人間の温かい気持ち、両方を兼ね備えた作品ばかりです。

今秋都内のオーケストラで1番と3番を演奏します。3番は初めて指揮を振る作品ですが、今回あらためて勉強し直し、そして練習を重ねていくうちに、また新しいシベリウスの魅力を発見することができました。いつも3番のスコアをカバンに入れて旅をしていますが、私の頭の中には常に3番の音楽が流れています。噛めば噛むほど味が染み出してくる、まるでスルメのような深い味わいをもった作品で、時に素朴な民謡が、また時に心の底からの叫びが聞こえてきます。1・2番で築いた語法を残しつつも、最高峰の7番を予感させるような精神面と形式の融合に身震いします。
 3番は10月16日、そして1番は11月25日が本番です。それぞれの曲に込められたシベリウスの気持ちをできるだけ伝えたい、その一心で勉強しています。


エッセイのページに戻る



Takubo's Home Page 最初のページへ
【クラシック音楽情報センター】最初のページへ