* エッセイ集 *

2005年6月
・・・ツェムリンスキー/交響詩「人魚姫」・・・


 20年ほど前、「抒情交響曲」を聴き、私ははじめてツェムリンスキーという作曲家を知りました。そして「人魚姫」は6年ほど前、指揮者であり友人の本名徹次さんから紹介されてCDを聴くことになり、「なんと美しく、悲しい音楽だろう」、その第一印象は、こんな陳腐な言葉では表現しつくせないほどの感動でした。今回の演奏会はこの衝撃的な出会いの後、いつかはこの作品を指揮してみたいと温めていた計画なのです。
ツェムリンスキー(1871〜1942)は19世紀末から20世紀初頭にかけてのウィーンでマーラーやシェーンベルクと共に活躍した人です。後にプラハ、ベルリンを経て晩年はアメリカで過ごし、マーラーの妻アルマの作曲の先生だったというだけの地味な作曲家でした。しかし私は情感溢れる旋律、豊潤な和声、華やかな管弦楽法を駆使し、後年に続くリヒャルト・シュトラウスをも彷彿とさせる天才作曲家だと思います。
デンマークの詩人アンデルセンの童話「人魚姫」にもとづく作曲ですが、描写を含む「標題音楽」的でありながらも非常に内面的な「絶対音楽」に私には思えてなりません。特に第3楽章は、後に作曲者自身が「死の交響曲」として改作しょうと考えていたそうです。
人魚姫の物語は皆さんご存知の「人間と人魚の禁断の恋」の物語です。遭難した王子を助け、恋してしまう人魚姫。どうしても人間になりたいという思いで、舌を切り取られる変わりに海の魔女から2本の足を得る。だがしゃべれない姫を王子は自分を助けてくれた人魚とはわからず、他の国の王女と結婚してしまう。落胆した人魚姫は、王子を刺し殺せば人魚に戻り、また海底で暮らすことができると知るが、自らの命を絶ってしまうという物語で、片想いの恋は成就することなく、悲しい結末を迎えます。
 第1楽章(ほどよく躍動して)海底の描写、独奏ヴァイオリンによる人魚姫のテーマ、そして嵐、船の遭難、王子の救出。次々とおとずれる事件に、曲も目まぐるしく変化します。第2楽章(大きく動いて、ざわめくように)海底の魔女のところに行き舌を切り取られる。人間界への旅立ち。王子の結婚式での舞踏会。人魚姫の落胆。特に舞踏会のワルツはウィーンの芳香あふれる流れと悲哀に満ちて独特の雰囲気を醸し出しています。第3楽章(苦悩に満ちた表現で、たいへんゆっくりと)人魚姫の苦悩、絶望、死の決意、そして昇天。これまでの旋律が回想され、有機的に結びつき、壮大なクライマックスを築いていきます。
作曲の動機は定かではありません。この人魚姫の作曲が始められた1902年はマーラーが結婚した翌年で、その妻となる弟子のアルマに密かに想いを寄せていたツェムリンスキーの成就しえない片想いの気持ちを「人魚姫」に託したという推測は、あまりにも短絡的かもしれません。しかし、単に標題音楽、描写音楽を作曲することが彼の目的ではなく、アンデルセンの題材を借りて、人生の悲劇や死を抽象化して作品に残したかったのでしょう。もちろん同時期にシェーンベルクによって作曲された「浄夜」や「ペリアスとメリザンド」に触発されていたのは言うまでもありません。流麗なメロディ、変幻自在の和声、そして妖艶な響きを存分にお楽しみください。


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