* エッセイ集 *

2004年1月1日
・・・子どもの可能性・・・


  教員をしていたときの話。大学を出たばかりの私は、習志野市立第七中学校に赴任し1年生の担任を持った。その2学期のはじめのこと。一人の転入生A君がやってきた。元気の良い男子であったが、前の中学校からの引き継ぎでは、かなり「ワル?」だったとのことだった。
 教室に入ったA君はとても活発な明るい少年だった。「この子がワル?」私にはそうは思えなかった。すぐにクラスメイトともうち解け人気者になった。私も変な先入観をもたずに普通に接し、彼のやりたいことを応援したものだ。そしてある運動部に入って最後にはキャプテンまでつとめるまでに成長したのである。
きっと彼は転校を契機に自分でも変わろうと思っていたのだろう。我が校に来てからはのびのびとした中学生活を送っていた。
 親ばかの話をひとつ。我が家の長男は現在中学2年生である。小学校の時は一応金管バンド部に入り、トロンボーンをやっていた。ピアノもバイオリンも趣味程度にそこそこ弾けるどこにでもいる少年だった。その息子が中学にはいると、テニスがやりたいと言いだし、迷わずにテニス部に入部した。当初親としては、それほど運動神経に長けているわけでもないので「まあレギュラーにはなれなくても、補欠にでも入ってくれて3年間続けることができれば、本人のためにはなるだろう」くらいに思っていた。ところがどうだろう。
テニスというスポーツが彼には合っていたのか、なぜかめきめきと実力を発揮するようになった。顧問の先生の話では「ボールを打ち返すときのリズム感がいい」のだとか。あれよあれよという間にレギュラーになり、市内の1年生大会では優勝。2年生になった今では副部長もしている。この息子の変貌ぶりには驚かされた。親も想像がつかなかったほどだ。「この子は運動神経がにぶい」などという先入観はもってはいけないのだとつくづく反省させられた。
 先日、中国内蒙古大学芸術院のオーケストラのレッスンで、オーボエのソロの女の子に「もっと表情豊かに」と要求した。すると担当の先生が「この子はまだオーボエを始めて2年目だから」と無理な要求とばかりに説明された。しかしあきらめることなくいろいろなイメージや強弱のつけ方などをアドバイスすると、みるみる彼女の音が変わっていったのである。しばらくすると周りの学生から賞賛の拍手が彼女に贈られた。本人も恥ずかしそうに拍手に応えていたのだった。
 子どもの可能性は無限である。同じことを覚えるのにも大学生より高校生の方が早い。中学生や小学生にいたってはもっと早いだろう。教える教師、導く親など、周りの大人がその子の実力を勝手に評価し、先入観や偏見をもって判断して接してしまったら子どもは伸びないということだと思う。目標は高すぎても達成できない。その子にあった少し高めの目標を常に与えてやるのも先人のつとめだと思う。
 先日私の担任したクラスの男子数名で飲み会をやった。もうみんな30代半ばの立派な大人になっている。数日後、一人の男子から次のような一枚の葉書が届いた。涙が出るほどうれしかった。その手紙は今でも鞄の中に入れて大切に持ち歩いている。中学の時の彼はオーディオ機器にくわしく、校内の放送やマイクのセッティングなどはすべて彼にまかせていたのをよく覚えているが、その他はそれほど目立つこともなく、また特に学力に秀でているわけでもなかった。しかしその後の生活の中のどこかの地点で、きっと自我に目覚め、大きく変わったにちがいない。たくましく自信を持って生活している彼を見て、これからもずっと応援してあげたい気持ちでいっぱいだ。
「拝啓  先日は、大変お忙しい中、ご足労くださいまして心より厚く御礼申し上げます。あわただしい時間ではありましたが、先生のお元気なお顔を拝見出来、感謝いたしました。先生のホームページも拝見し、なかなかお忙しくご活躍されているお姿を知ることができました。
 早いもので第七中を卒業して来年3月で20年になります。先日みんなとも話をしましたが、年末にはご多忙かとは存じますが、皆様でお会いできればと存じ上げます。
ご自愛のほどお祈り申し上げます。まずは略儀ながら書中をもって御礼申し上げます。 敬具」


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