* エッセイ集 *

2003年10月1日
・・・モルダウ川に魅せられて・・・


スメタナ作曲の交響詩「モルダウ」と言えば、「ああ、あれか」とすぐに思い出すかたも多いと思う。流麗なヴァイオリンの旋律は一度聴いたら忘れられない。合唱曲にもなっているほど親しまれているメロディは美しく、そして力強い。モルダウとはチェコの首都プラハの中心を流れる川のこと。現地では「ヴルタヴァ川」と呼ぶ。チェコ西部のボヘミアの森に水源を発し、プラハを通り抜け、ドイツを流れるエルベ川に合流する全長400キロの長大な川。その流れは遠く北海まで続いていて、まさにチェコのシンボルともなっている。
「モルダウ」は独立した曲ではなく、6曲からなる連作交響詩「我が祖国」の第2曲で、最初の曲は「高い城」いわゆるヴィシェフラドという。この城はプラハの旧城のことで現在城跡だけが残って静かにプラハの町を見守っているかのようだ。スメタナはこの連作交響詩を作曲した頃には、ほとんど耳が聞こえなかったというから、かのベートーヴェンと同じ境遇に立たされていたことになる。

 曲は二つの水源からだんだんと大きく成長していく川の様子を表しているが、途中で狩猟のラッパが聞こえたり、農民たちの結婚の踊りがはじまる。やがて日が暮れて、青白い月の光に照らされて、まるで妖精の出現を思わせる部分が続くと、一転して聖ヨハネの急流にさしかかる。そしてクライマックスは第1曲の「高い城」のテーマを高らかに歌い上げ、ヴルタヴァがプラハの町を讃えるかのように曲は閉じるのである。スメタナはこの曲でこのように描写音楽的に表現しているが、その奥では祖国を愛する心、平安を願う祈りを捧げていたにちがいない。プラハ市に捧げられたこの曲を聴いて民衆は志気を高めたというのもうなづけるのだ。
この「モルダウ」、日本でも人気の高い曲なのでリクエストも多い。今までに私はどれほど演奏してきただろうか。数十回いやもう百回は越えているだろう。これだけ多く指揮をしてきているのに、一度もモルダウ川を見たことがなかった私は、どうしてもこの目で見て、肌で感じてきたいと思い、今夏ウィーンに行った折りにチェコと旧東ドイツを旅してきた。電車による5日間の気ままな一人旅だ。
ウィーン南駅を朝早く出て、チェコに入り「ブルノ」という小さな町に寄った。ここはヤナーチェクゆかりの地だ。昼食をとって移動し、あこがれのプラハに着いたのはもう夕方になろうとしていた頃だった。かつてのボヘミア王国の首都プラハは、中世の町並みをそのまま残している美しい町。「ヨーロッパの魔法の都」「黄金の町」「百塔の町」などプラハを形容することばは数多くある。夜、教会の演奏会に行った後、石畳の路地を歩いていると、いつの間にかまた同じ所に戻ってきてしまった。方向感覚には自信がある私も、迷路のように入り組んでいる石畳のせいで不覚にも道に迷ってしまたのだ。プラハの建物はひとつひとつに風情があり、歴史を感じさせ趣深いものばかりだ。石畳を抜けるとお目当ての「モルダウ川」にやっとたどり着いた。夜のヴルタヴァは幻想的だった。まさに交響詩「モルダウ」の世界に浸れることができた感動で胸がいっぱいになった。美しい町をよりいっそう引き立てているかのような川。それが「モルダウ」だった。
昼間は観光客でごった返す「カレル橋」も人通りがまばらで、欄干に祀られた30体の聖人像を確認しながらゆっくりと散策をした。ふと足を止め川面を眺める。月明かりに照らされて浮かび上がるプラハ城と、とうとうと流れる川の流れを見ていると時の経つのを忘れるほどだった。振り返るとプラハの中心部にそびえ立つティーン教会が見える。華やかさの裏に、侵略をされた過去の厳しい歴史をもつプラハは、力強く、同時に民衆を優しく包み込んでくれるような魅力があるのだと思う。

 翌日は地下鉄を乗り継いで「高い城」ヴィシェフラドに登った。城跡の高台からはプラハの町を一望できる。これにも言葉にならないくらい感激をした。敷地内にスメタナやドヴォルザークの墓があり、お参りをしてきた。昼間だったのでヴルタヴァ川畔まで下りていき、川の水に触れることにしたが、とても温かい気がした。旅行中、ほとんど日本人には会わなかったが、ドヴォルザーク記念館に行ったときには数人の日本人に会った。2日目の夜は、モーツァルトが歌劇「ドン・ジョヴァンニ」を演奏したエステート劇場で、その「ドン・ジョヴァンニ」を見ることができた。夢のような二日間だった。なごりを惜しんでプラハを後にし、ドイツに向かうことにした。まだまだプラハの魅力の一部分しか味わっていないだろう。もう一度ゆっくりと訪れてみたい町だ。


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