* エッセイ集 *

2003年4月1日
・・・音楽の都ウィーンにて・・・


 今回のエッセイはウィーンで書いている。3月のこの時期は通常はルーマニアのオーケストラの仕事があって、その帰りにウィーンに寄ってくるのだが、今年はそのルーマニアでの日程調整がうまくいかず、結局オーケストラの仕事はなくなった。ならばせっかく10日間ほど休みがとれたので、ウィーンだけにしぼって勉強して来ようと思い、急遽日本を発つことになった。
よく「ウィーンって、やっぱり音楽のあふれる町なんですか?」と質問されるが、「その通り」と自信を持って言うことができる。旧市街を一周するリンクの大きさは、わずかに日本の皇居くらいの広さだろう。その小さな町に有名な演奏会場や劇場がひしめきあっているわけだが、どの会場も中心のシュテファン大聖堂から徒歩で行ける距離にあるのも魅力のひとつだ。そして何と言っても国立歌劇場では毎夜演目の違うオペラが楽しめる。ムジークフェライン(楽友協会)やコンツェルトハウスでは世界各地から毎夜オーケストラの演奏会が開かれ、またフォルクスオパーでのオペレッタも毎晩続く。これだけ質の高い音楽をこの小さな都市で毎夜堪能でき、それぞれの会場がいつでも満席というから驚きだ。ウィーンに行くと、まずどの演奏会をチョイスするかを計画することから始めなければならない。嬉しい悲鳴だ。
普段ウィーンに住んでいる人々にとっては、オペラやコンサートは日常の楽しみになっているから、そんなにせっぱ詰まってはいないと思うが、海外から来ている我々観光客は、短期集中でできるだけ多くの演奏会に行きたいと思っているはず。チケットも少々割高だが確実性を重視して、日本で予約することもあるわけだ。私もむさぼるように毎夜欠かさず演奏会に足を運んだ。日本で聴く演奏会の1年分くらいの内容だ。チケットは1枚くらいなら、たいてい演奏会の30分くらい前に入り口に立っていれば、余ったチケットを定価で売りに来る聴衆がいて、完売の演奏会でもどうにかなるものだが、人気の演奏会やオペラだとそうは行かない。時にはどうしてもチケットが入らず当日の立ち見席を取るために並んだこともあった。
今回は主だったところだけでもサヴァリッシュ指揮ウィーン交響楽団、カールマー指揮トーンキュンストラー管弦楽団、マゼール指揮バイエルン放送交響楽団、大植英次指揮ハノーファー放送交響楽団、それに室内楽の演奏会、メサイア、歌劇「バラの騎士」、そして小澤征爾先生指揮によるモーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」があった。小澤先生のリハーサルを見学させていただいたり、ウィーン国立音大で湯浅先生のレッスンも受けることができた。またその他の教授による指揮科の学生のレッスンを見学するなど、文字通り音楽漬けの毎日を過ごすことができた。
またまた多くの日本人学生やピアニストとも知り合いになることができ、大きな収穫だったが、驚いたことは、指揮科の学生の半数以上がアジア人だということだった。中国、韓国、台湾はもとより北朝鮮からも多くの学生が留学している。これは指揮科に限ったことではない。聞いた話だが、オーストリアは中立国なので各国からの留学生が多いのだという。それにやはりウィーンの魅力に取り憑かれている学生も多いのだろう。何しろウィーンは音楽文化の交差点なのだから。
小澤先生は若い頃、アジア人が西洋音楽をやることへのコンプレックスをいつも感じていらしたが、今や音楽に西洋人と東洋人の隔たりや垣根はなくなりつつあると思った。昨今小澤先生をはじめとして、チョン・ミュンフ、ケント・ナガノ、準メルクルなど一線で活躍する東洋人や日系二世の活躍がめざましい。21世紀の後半にはもしかしたら世界の半分くらいのオーケストラの指揮者がアジア人で占めるかもしれない。そんな期待を感じたレッスンだった。みんながんばれ。
ウィーンの楽しみはまだまだたくさんある。有名音楽家が眠る中央墓地や作曲家由来の家、美術館に足を運んでの絵画鑑賞、図書館や楽譜屋さんでの掘り出し物探し、等々。そしてたくさんの友人たちとの再会や食事なども。ウィーンでの勉強もあとわずか。今回は仕事を離れて純粋に音楽のことだけを考えて滞在することができたので、その分吸収することも多かった。時間と予算が許されるのなら1年の内半分くらいは住みたい、というのが本音だ。だがそうは言っても日本での生活や音楽活動が待っているので帰らなくてはいけない。なごり惜しさで気持ちをいっぱいにして帰ろう。また次回ウィーンに来たときに素敵な音楽や人にであえることを励みに、がんばって勉強していこうと心を新たにした。


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