* エッセイ集 *

2003年3月1日
・・・臨機応変・・・


 昨年夏、仕事に大遅刻をしてしまった。鳥取県でのことである。特急「はくと」に乗り、関西まわりで陸路鳥取の倉吉に向かっていた。終点倉吉の一つ前鳥取駅での停車中、体に感じるくらいの、少し強い地震があった。その後予定通り「はくと」は終点の倉吉に向けて発車した。しかし数百メートルも行かないうちに急停車したのだ。「ただ今停止信号のためしばらくお待ちください」とのアナウンス。女性の車掌の声だった。その後5分ほどしてから、今度は「先ほどの地震のため線路の点検をしていますので、もうしばらくお待ちください」と再度アナウンスが。その後は時速20キロくらいでの徐行運転が続き、これはもう仕事に間にあわない状況になってきた。
車掌が運転室にやってきた。先頭車両に乗っていた乗客は「どうなっているんだ」といらいらする気持ちを車掌にぶつけた。私も女性車掌に「なぜ鳥取駅で運転を見合わせないで、こんな中途半端なところで車両を停車させた」のか、まず問いかけた。車掌からは「司令室から指示がなかったので、鳥取駅から発車した」との返答。そして「次の駅で緊急停車して希望する乗客を降ろしてくれないか」と強く要望したが、「特急停車駅でないのでホームが短く、それはできない」と。「ホームが短いのならば開けるドアを限定してでも降ろせるだろう」と提案したが「司令室から指示がないので勝手なことはできない」の一点張り。まったく融通の利かない対処だった。それに30分以上も車内放送がない状態だった。その車掌に「せめて今の状況を正しく案内してほしい。それにアナウンスしていないことを乗客に詫びるべきだ」と提言した。まもなく放送があったが、倉吉に到着する時刻は未定とのこと。どうにもならない。仕事先の鳥取のオーケストラに連絡を取り、午前中の練習をキャンセルさせてもらい、午後からの練習には間に合うだろうと伝えた。結局1時間55分遅れで倉吉に到着。2時間を超えて遅延していないので特急料金の払い戻しもなく、乗客は不平不満をぶつける術もなく下車することになった。私のように仕事に間に合わない乗客の他にも「結婚式に間に合わない」「葬式が終わってしまう」「お得意さまと会えないと契約がとれない」と一人一人の物心両面での損害は大きい。「鳥取のみなさん、大変ご迷惑をおかけしました」と私が謝る筋合いではないが、本当に困ったJRの対処だった。
先日お隣の韓国で大規模な地下鉄火災があった。事故ではなく「自殺願望」の犯人による道連れ放火だった。多くの死者が出る大惨事となってしまったが、解せないのは火災が起きている情報がわかっていながら、なぜ対向車線に数分後に車両が入ってきたのかということ。しかもドアを開けずに乗客を閉じこめた末、燃えている車両より燃え移った車両からのほうが圧倒的に多くの被害者を出してしまった事実。停電のため手動ドアも開かなかったという。仮にドアが開いて車外に出られたとしても地下鉄の線路には高圧電流が走っているので、停電とはいえ万が一その電流が生きていたら大変危険だ。こんな時何もできない乗客の心理状態はどうだったのだろうか。恐ろしさがこみ上げてくる。運転手にももちろん大きな責任があるが、もっと問題なのは司令室の指示だと思う。司令室からは現場の本当の状況はわかりにくいのだから。
火災が起きているのなら司令室の指示がなくても、運転手の判断で途中で急停車するできだった。そして手前の駅に引き返すことだってできたはずだ。
臨機応変な対処ができないのは、鉄道関係者はできるだけダイヤ通りに電車を走らせたいという本能があるからだ、とあるテレビ解説者が言っていたが、
少なくとも大勢の人命を預かる交通機関として、マニュアル通りに動くだけが「人命の安全を保つ」最良の手段ではないことを思い知ってほしい。
鳥取は天災、今回の韓国では人災だったが、またこのような事故が起きるとも限らない。日本の鉄道の車両は不燃材でできているので安全だとは言うが、飛行機にせよ電車やバスにせよ、そうしたハード面での充実はもとより、被害を最小限におさえるためのいわゆるソフト面での見直しをはかってほしい。今回の事故で鳥取のことを思い出し、同時に「臨機応変」ということばをかみしめた。 


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