* エッセイ集 *

2002年11月1日
・・・文化の祭典とその後・・・


  国民文化祭。この言葉に対して何人の方がはっきりとしたイメージをもっておられるだろう。国民体育大会(国体)の文化版のような位置づけで昭和61年に第1回が東京で開催されたのを皮切りに今年で17回目を数える。国民が一般に行っている各種の文化活動を全国的な規模で一堂に集め,相互に共演,交流,発表する場として文化庁がイニシアチブをとり都道府県や各市町村との共催により開催しているものである。だいたいが3年前には開催地が決まり、2年前には実行委員会が立ち上がる。そして1年前には予行演習にもなる「プレ国民文化祭」が開催され、本番に備えるという日程をとっている。 

 千葉県では平成3年(第6回)に開催。もう10年以上も前のことだが、丁度このころ私が教員を辞めようと決意を固めていた時期だった。当時の私の役割は、学校関係のオーケストラのとりまとめ、一般の部の演奏に参加に加えて、舞踊の部ではチャイコフスキーの「くりみ割り人形」をもちろんバレエ付きで全曲指揮をした。また並行して本業の教員として千葉県の音楽研究大会の会場校を引き受けるなど、まさに平成3年の秋は想像を絶する超絶ハードスケジュールをこなしていた。今となってはなつかしい思い出だが、当時は睡眠時間を大幅に削って必死でこなしていたように記憶している。

 その後平成6年(第9回)三重県、平成11年(第14回)岐阜県と指揮者として参加し、今年の鳥取につながるわけである。本年は鳥取県で10月12日から11月4日まで長期間にわたって開催された。夢フェスタとっとり「ふるさと、ふれあい、夢づくり」というテーマで全県的に大変盛り上がった。開会式には皇太子様ご夫妻もお見えになり、鳥取市内は大フィーバーになった。催しを音楽、演劇、伝統芸能、美術、舞踊、文芸など11の分野に分け、ありとあらゆる文化行事が展開されたのである。音楽の分野だけでも合唱、吹奏楽、オーケストラ、オペラ、童謡、第九など9つのコンサートが各地に割りふられ、それぞれが大きな成果をあげたように思える。オーケストラの祭典は鳥取市で開催。ジュニアの部、大学生の部、一般の部に分け総勢300名の出演者を数え、3時間半に及ぶ大コンサートになった。私は一般の部の指揮者としてステージに立った。全国から腕自慢のオーケストラ愛好家が集まり、130名のオーケストラを編成し、マーラーの交響曲第1番を演奏した。少ない練習時間だったが皆さん集中し、成果を発揮することができた。満席の会場からは万雷の拍手を贈っていただいた。

 ステージの成功はもちろんだが、特筆すべきは裏方、つまりスタッフの充実が目を見張った。県市職員をはじめとしてボランティアの方々で受付や会場整理、ステージ関係など数十人が献身的にサポートしてくれ演奏会が非常にスムーズに進行した。広報活動も充実していた。驚いたのは全日空の機内やJRの車中で大々的な宣伝をしていたことだ。県内どこに行っても「国民文化祭」の案内が充実しており、かなり多くの県民が今回の文化の祭典に関わり、関心を高めていたように思える。その点でも大成功だったと手応えを感じている。近年はだいぶアクセスが良くなったが、それでも鳥取はなかなか旅行で訪れない地でもあるゆえに初めて来鳥した県外参加者が多かったことから、鳥取県に対する大きなイメージアップにつながったとも思う。

 こうして第17回国民文化祭は成功裡に終わった。打ち上げ花火は大きな輪となって花開いたと言えよう。しかし文化活動の本質はこうした打ち上げ花火を成功させるだけではない。日々の生活の中で県民が文化に対してどう関わっていくか、それが生活の中で潤いをもたらすものになっていくか、つまり今後の活動が焦点となる。当然のことだが文化庁からの補助は来年からは無い。とすれば今後は県や市町村がどのようなかたちで県民の文化活動を支えていってくれるかが鍵になるだろう。不況、財政難の折から多額の援助は期待できないかもしれないが、県民の要望を汲み取り、身近なところから支援していってもらいたい。そして県民側も行政に頼るばかりでなく、手作りで文化活動をつづけていこうとする強い意志が望まれる。少なくとも今回私がお世話になったオーケストラの皆さんには、そうした気概と熱意が感じられ、心強く思った。国民文化祭は来年以降、山形、福岡、福井と続く。


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