* エッセイ集 *

2002年8月1日
・・・こだわりの珈琲店・・・


  毎年数回、仕事で金沢に行くのだが、昨年の秋に行ったときのこと。兼六園の近くの珈琲屋さんに、ふと立ち寄ってみた。ガイドブックに「こだわりの珈琲店」とあったからだ。狭い階段をあがると、焙煎した珈琲のかなり強い匂いが立ちこめ、期待をふくらませた。「こんにちは」ドアを空けるとカウンター6席、テーブル席2席という小さな店内のカウンター越しに、マスターが眼鏡をかけ、腰掛けて新聞を読んでいた。横目でちらっとこちらを見て「いらっしゃい」と渋い声が帰ってきた。この店にはメニューは無い。好みの珈琲の味を注文するのだ。「酸味が弱く渋めで濃いヨーロピアンタイプを」と告げると、棚に用意された豆を手際よくブレンドし、抽出に入った。なんと一度落としたペーパーフィルターに、さらに抽出した珈琲を注ぎ込む。二度抽出するのは初めて見た入れ方だった。「素人さんはまねをしちゃいかんよ」とマスター。「それにしても凄い匂いですね」と言ったら「匂いじゃなくて香りだよ」。そこから会話が始まった。

 店には大きなミルや焙煎の道具が所狭しと並べられている。以前は大阪で珈琲豆のブレンダーとして、かなりの腕を振るっていたらしい。今は金沢で小さな珈琲店を開き、自家焙煎した豆を気に入ってくれる客に売ることを最大の喜びと思っているのだという。珈琲にトーストはつきものだが、「トーストはありませんか?」という客には、「どこかよその店で食べておいで」と言う。純粋に珈琲を楽しみたい人だけにサービスしたい、そんな心意気が感じられる。最近になってようやく珈琲豆と会話ができるようになったとか。どの豆をブレンドしたら良いのか、豆の方から立候補してくるのだとも。「珈琲は生き物だ、血の色をしているだろ?」「明かりに反射した珈琲がカップの縁にゴールデンリングとなって表れるんだ」という。一見して頑固そうな風貌のマスター。抽出中は真剣なまなざしで、話しかけるのがはばかれる表情だが、一転して珈琲の話をしているときの瞳がキラキラしていて、失礼だが何ともチャーミングなのだ。

 聞けば繊細な味覚を判断するのを維持するために、たばこは吸わない、辛いものは食べない、また添加物や化学調味料の入った食べ物も口に入れないと言う。かなりストイックな生活を送っている中に「職人気質」を感じた。上質のブルーマウンテンを飲むためだけにロンドンに行った話など、話題も豊富だ。そんな彼が心を込めて入れてくれた珈琲はもちろん美味しいが、それよりも彼の姿勢や考え方に興味を持ってしまった。以来金沢に行ったら必ず寄る「お気に入りの」店となった。二度三度と通ううちに話題は芸術の話にまで広がった。日本では本物の職人がいなくなった。それが堕落の始まりなのだと。それに今の芸術家は儲けることばかり考えてハングリー精神がなさ過ぎる。だから質が上がらないとも。そして音楽の話になると、彼はジャズやタンゴに造詣が深く、話がとぎれない。店で聴かせてくれたサックスの音に魅了され、彼の勧めるスタン・ゲッツやケニー・バロンのCDを何枚か買ってしまった。

 話をしていると、あっという間に1、2時間が過ぎていくが、そうしている中で次々とお客さんが豆を買いにやってくる。私は旅には欠かさず豆を持ち歩いているが、ちょうど切らしていたので「僕にも100グラムくらい売ってくれますか?」とお願いしたら、ニヤッと笑いながら「10年早いよ」と返ってきた。完全予約制で、注文を受けたものだけ焙煎して専用のミルで挽いて売るのだという。家庭にあるミルは豆を殺してしまうそうだ。また一度に多くの豆は売らず、一週間くらいで飲みきれる量を勧める。珈琲を大切にしてくれる客だけに売りたいとも。10年とまではいかなくても次に金沢に行ったときには、私も予約してぜひ手に入れたいと思う。今年も秋になると何度か金沢に行くことになるが、またあのマスターに会えるのが楽しみである。


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