* エッセイ集 *

2002年2月1日
・・・二人の巨匠・・・


 12月30日、訃報が飛び込んできた。朝比奈隆先生の死去である。いつかはこのときが来るだろうとは思っていたが、それが現実となってしまった。93歳まで現役を貫き、日本のいや世界の指揮者界を引っ張ってくれたマエストロだった。私たちから見ると、雲の上のような存在であったが、一方では「おやっさん」の愛称で親しまれていた方だった。日本指揮者協会会長としての存在感も大きく、日本の指揮者は朝比奈先生を中心に団結していたようにも思える。

 88歳くらいのときだった。あるオーケストラの練習を見学させていただいたときのこと。ステージマネージャーがマエストロのために指揮台に椅子を用意した。先生はひとこと「君、ワシが椅子に座って指揮するのなんて10年早いよ」と、周囲を笑わせたものだ。「いや、本当は立ったり座ったりするほうがしんどいのだよ」とも。何歳になられても、いつもシャンとした姿勢で指揮をされていた。

 特にブルックナーをはじめとするドイツ音楽を正統的な解釈と表現で魅了した方だった。1996年だったか、最後の海外公演となったシカゴ交響楽団への客演はテレビで放映されたが、ブルックナーの大曲を細部まで的確に構築していき、名演奏を引き出す様にアメリカの聴衆も酔いしれて、感動的な演奏会だったことを思い出す。

 数年前に先生とお話ししたとき私が「最近ではベートーヴェンの新しい出版の交響曲が発売されていますが、先生はどうお考えですか」と尋ねたところ「そういう研究は若い君たちがやってくれたまえよ。ワシはここ何年も演奏スタイルを変えていないからね」と笑いながらおっしゃった。とんでもない、先生はベートーヴェンの交響曲全集を7回にわたり録音されたが、その度にいつも新しいスコアを用意され、毎回新鮮な気持ちで曲と向かい合っていらっしゃるという。「95歳までは指揮をしていたい」とおっしゃったそうだが、これはストコフスキーの持つ記録を意識されていたものだろう。もし指揮台に立てなくなったとしても、先生にはもう少し長生きをしてもらい、まだまだいろいろなお話を伺いたかった。カラヤン、ベーム、バーンスタインなど巨匠といわれる時代が、朝比奈先生の死で最後を告げたように思える。ご冥福をお祈りいたします。

 一方、新年は小澤征爾先生のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートで幕開けした。今秋からウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任されることだけでもビッグニュースなのに、伝統あるニューイヤーコンサートに日本人が起用されることは驚きであった。ウィンナワルツを小澤先生がどう料理されるのか、興味津々でテレビの画面に釘付けになった。いつもながらのものすごい集中力。そして観客を楽しませることも忘れない。最近は指揮棒を持たないで指揮されるが、その指先から魔法のようにテレパシーが放出し、エネルギッシュな演奏が繰り広げられた。小澤先生は見事に聴衆を魅了し、会場は指揮者を中心にオーケストラと一体になった。東洋人と西洋人の垣根を取り払ってくれたように思える。まさに日本人としての誇りであり、私たち若い指揮者の目標でもある小澤先生の存在をより大きくさせたものであった。

 65歳にしてなお、新しいことにどんどん挑戦していくその後ろ姿を見習いつつ、私も勉強を怠らないで、一年一年成長していきたいと思う。

 朝比奈先生を失った大きな喪失感から、一転して小澤先生の華やかなニューイヤーデビュー。日本の音楽会が失ったものは大きいが、小澤先生によってまた新しいページが開かれるであろう、そう実感した年越しであった。



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