* エッセイ集 *

2002年1月1日
・・・この一年・・・


 日本には春夏秋冬があり、そのなにげない季節の移り変わりを感じながら生活を楽しむことも多いのが日本人だ。私は木々が芽吹き、動物たちも活発に活動し始める春が好きだが、秋もまたさわやかな秋晴れのもと、色とりどりの衣装をまとった紅葉の中に身を置き、すがすがしい空気に包まれるのも好きである。しかし昨年は夏が終わると秋の気配を感じる間もなく、あっという間に冬が迫ってきた。突然思い出したように紅葉が見たくなり、枯れ葉にならないうちに千葉県内の渓谷に出向き、束の間の晩秋を楽しんできた。そしてせわしない十二月が過ぎ、気がつけばもう新年。もっとゆったり時間が過ぎるはずだったのに。

 昨年一年を印象づける事象を創作四字熟語にして振り返る新聞記事が紙面を賑わせた。「万国胸痛」「瞬禍終塔」などはニューヨークの事件、そのほか不景気から「心沈退社」児童虐待から「親心喪失」などのユニークな熟語が連発されたが、なんとも暗い話題ばかりだ。また漢字一文字で表現すると、昨年はズバリ「戦」だった。一昨年はオリンピック効果で「金」が選ばれたそうな。この一年で何という変わり様だろうか。国会に始まり、惨殺事件、同時テロ、リストラや狂牛病など、二十一世紀最初の年を象徴する漢字が「戦」とは何ともやるせない。昨年のお正月に、一年後にこのような二〇〇二年を迎えることになろうとは誰が想像しただろう。返すがえすも残念だ。

 そんな中、明るい話題が全国を駆け抜けた。十二月一日に雅子様が新宮様を出産され、歳末ははどこもかしこもお祝いムードに包まれた。この一年のいやな思い出や出来事を払拭させるかのように。敬宮愛子様と命名されたとの報道を聞いたとき、なぜかほっとした感じを覚えたのは私だけであろうか。何とも親しみやすく、それでいてインパクトのあるお名前だろう。そうか、そうだったか。私たち国民が今一番望んでいるもの、それが「愛」だったのかもしれない。出典は孟子の「人を愛するものは人恒に之を愛し、人を敬うものは人恒に之を敬う」という言葉に端を発するということで、大変意味深い。全国の「愛子さん」たちは、それはそれは喜んだことだろう。

 子どもの名前を決めるとき、親は非常に悩むものだ。いろいろな思いが重なって幾通りもの候補をあげたり、占いに頼ってみたりと忙しい。でも共通して言えるのは、我が子が幸せな人生を歩んでいけることを願って名前を付けること。姓名判断にもあるように、名はその人の一生を左右する。不思議なもので名前から受ける印象、音や響きによってその子の性格も決定づけられるというから親はまた苦労する。でも名前は親が子どもに贈る最初のプレゼントなのだから、その苦労も楽しい思い出となる。皇太子様ご夫妻も、孟子を引用しながら、新宮様のお幸せを願いつつお決めになったと思う。

 愛子様の健やかなご成長を願うとともに、愛子様にあやかって二〇〇二年は是非とも「愛」に満ちあふれた一年であってほしい。世相の暗い陰は、今年もそうとう引きずることが予想される。この不安な世の中から、どうしたら抜け出すことができるのか模索する毎日が続くだろう。でもあきらめることなく、ひとつずつ身の回りから良くしていかなければ、その先の喜びや満足も得られない。いろいろな愛がある。夫婦愛、親子愛、兄弟愛のみならず、宗教的な意味での隣人愛、愛国心もそのひとつ。世界においても、また日本でも愛について語り合い、深めあうことが必要だと思う。そして今年の年末に一年を振り返ったときに、「愛」とか「喜」「楽」などの明るいイメージの漢字で表せるようなら最高だ。


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