* エッセイ集 *

2001年7月1日
・・・心のケア、いつまでも・・・


 信じられない凶悪極まりない事件が、また起こってしまった。大阪の大教大附属池田小学校で起きた、小学生殺傷事件は全国民を震撼させた。6月に入ってから私のホームページの掲示板で「死」について、いつくかの書き込みがあった。私も三度の辛い別れのことを書いた。恩師の指揮者、大学の同級生、そして母。それぞれの早すぎる死に直面したのだが、大切な人を亡くしたショックは何ヶ月も続いたものだ。「命の大切さを知らせるために、神様に選ばれて召されていった」などと考えて、自分で納得させるしかなかったように思う。ちょうど同じようなことをNHKの朝ドラ「ちゅらさん」で、おばあ役が言っていた。

 そんな意見を掲示板で交換しあっていた矢先に池田小の事件が報道された。あまりの悲惨さに言葉が見つからない。まちがっても「選ばれてはいけない」死であり、傷であるのだ。掲示板でもすぐさま多数の意見が交換された。我が家のこどもたちも、各担任の先生からその日のうちにお話しがあり、翌日には校長先生から家庭向けにプリントが配られた。千葉県からは遠い大阪での事件だが、こどもたちの関心も高く、かなりの衝撃を受けていたようだ。もしその場に私がいて、咄嗟の出来事に直面していたら何ができただろう、何をしてあげられたのだろうと、頭をよぎった。

 昨今、学校開放が進み、どこの学校でも何らかの形で地域の活動との密接な関係を築きつつある。今回の事件はこのような開かれた学校の管理にも大きな影響を及ぼすことは免れない。学校はもっとも安全な場所であったはずだし、地域の活動の交流の場でもある。欧米の学校ではスクールポリスもいるという報告がされた。しかし、これは学校内の生徒間の安全を守るためであって、外部からの進入を防ぐものではないという。今後日本でも管理体制を厳しくしたとしても、不審者の侵入を防ぐのには限界がある。校門を閉め、塀を高くしてしまったら、それこそこどもたちの顔から笑顔がなくなってしまうだろう。学校の存在の意味すら問われることになりかねない。学校と地域と公的機関が密に連携をとりあって、地域の安全を守らばければいけないだろう。できることから始めていきたいと思う。

 事件の真相はいずれ明らかになるだろうが、我が子の命を奪われた親、被害を受けたり、現場を目撃してしまった児童や、その家族の傷が癒えることは一生かかってもないだろう。PTSD(心的外傷後ストレス障害)も心配だ。最近では「えひめ丸」沈没事件の高校生に対する取材もなくなってしまったが、彼らは今どうしているだろう。阪神大震災の被害者、その他の凶悪事件で心の痛手を負った人たちへの報道も少なくなってきている。カウンセリングを中心とした、充分な心のケアを続けるよう政府には尽力して欲しい。悲惨な事件のことは忘れようにも忘れられないだろうが、少なくとも当事者の皆さんにはいやな記憶を忘れ去って欲しい。そのかわり、まわりの私達は忘れてはいけないと思う。より住みやすい日本にしていくためにも。 池田小学校にこどもたちの明るい声が響き、歌声が帰ってくることを願い、祈りながら見守っていきたいと思う。


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