田久保 裕一 の “エッセイ集”


2001年1月1日
・・・2001年の夢・・・


 今からおよそ30年程前に「2001年宇宙の旅」という映画が人気を呼んだ。当時は宇宙開発の波が押し寄せていて、関心が高かったせいもあるが、未来の地球に大きな夢を馳せたものだった。映画によれば、2001年には宇宙ステーションも完成、月にも容易に行ける時代るという設定だったが、まだまだその夢にはほど遠い感がある。

 しかしそういう夢は実現が遅いほうが良いのかもしれないと思う。人間は夢を追っているときが一番楽しいのだから。もし実現してしまったらまた次の夢を追いたくなるのが常だ。また文明の進化を得るには、時として大きな代償を払わなければならないことを忘れてはいけない。

 昨秋ひとつの映画を見た。誰でも子どもの頃に素朴な夢を持っていたと思うが、そんな夢を忘れてしまった主人公。ビジネスマンとして超多忙な日々を過ごす彼の生活の中に、ひょんなことから少年時代の自分が現代に迷い込んでくる。過去の自分とのやりとりの中から現在の自分を見つめ直すきっかけを得、最後には自分の夢を取り戻すという感動的な映画「キッド」を見た。ストーリーは単純だが、ブルース・ウィルスが主人公の心の微妙な変化を好演した。そしてクライマックスでは思わずホロっとくる場面もあり、あらためて「夢」というものを考えさせられる作品だった。

 一昨年前、母校の高校の同窓会報に「夢を追いつづけて」という短文を載せていただいたが、その母校で創立80周年記念講演があり、今や全国的に有名になったルポライターの江川紹子さんが「夢の探し方」というテーマでお話をされた。彼女は私の後輩で、高校時代は一緒にオーケストラを楽しんだ仲間だ。いつもながらの柔らかい、自然な語り口で語ってくれた。彼女によれば「焦って夢を探さなくてもいい」と、また「いい夢の探し方はまず自分をよく知るとうこと」と主張された。

 私もまったく同感だ。誰でも漠然とした夢はあっても、それが現実的でなかったり、その夢に向かって進むことができるすべを知らなければ空想、想像だけに留まってしまうだろう。また夢は日々の生活の中で、どんどん変わってくるものだと思う。ただその日その日を精一杯生きているということが大切で、その中で自分の本当の夢が見えてくるもではないだろうか。

 私は夢をいくつももっている。それは大きいものであったり、またほんの小さな夢だったりする。小さな夢をひとつずつ実現していくことが、やがては大きな夢の実現につながるものだと思う。いつのころからか「無気力」「無関心」「無感動」が若者の代名詞のように言われてきているのは淋しい限りだ。若者たちにはまず、自分を好きになってもらいたい。そして社会の流れに惑わされることなく、自分の進むレールは自分でひいてもらいたい。たとえまわり道をしたとしても。夢を追いつづける姿こそ青春の象徴であり特権なのだから。

 21世紀の幕開けだ。さて今宵はどんな初夢を見るのだろうか。


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