田久保 裕一 の “エッセイ集”


2000年11月1日
・・・マーラーと私・・・


 あれは確か中学三年生の頃だったか。当時のテレビ放送では数少ない音楽番組の中で、バーンスタインの指揮する、マーラーの交響曲第3番の演奏を見た。オーケストラはどこだったかは覚えていないが、2人のティンパニ奏者を要するような曲がこの世にあるものとは知らず、6楽章の荘厳なフィナーレにただただテレビの前に釘づけになったのを思い出す。

 中学校の時の親友は、大のマーラーファンであったので、その時彼からいろいろな情報を聞かされ、私もすっかりマーラーの虜になってしまったのだった。何とませた中学生だったのかとお思いだろうが、ただ当時は、音楽がカッコイイというだけの単純な理由だけだったのかもしれない。

 その後大人になって本格的に勉強をしだしてからは、外面的ではなく、マーラーの意図する音楽の本質に触れるにつけ、ますますのめり込むことになった。

 12・3年前になろうか。ケン・ラッセルという監督の制作した映画「マーラー」を見にいった。予想はしていたが、その内容は支離滅裂なマーラーの弱さが全面に出され、回想や幻想を中心に、世紀末を生き抜く現実の姿と交差する複雑なものだったと記憶している。ただ印象的だったのが前編に流れるマーラーの交響曲。とりわけ五番の第四楽章のアダージェットが、名画「ベニスに死す」を彷彿とさせるもだったこと。私が初めて出会った第3交響曲が巧みに引用されていたのを思い出す。

数年前にウィーンから南へ電車で四時間くらいかけて、ヴェルター湖畔に立てたマーラーの作曲小屋を訪ねた。ここで数々の名曲が作曲されたわけだが、恐らくそれは孤独との戦いから生み出されたであろう産物と思われる環境であった。ここで彼は人生を考え、葛藤し、苦しみながらも作曲することの欲求を満たすべく作曲を続けたのだろうと思うと胸が熱くなった。

 まだまだ勉強不足の私に、マーラーの音楽の本質は語る資格はないが、あえて表現するならば、それは生と死、現実と過去、愛と憎しみ、また神への信仰と裏切り、そういった矛盾との戦いをストレートに表現したのかもしれない。多くの人が二面性をもつように、マーラーの音楽には多面的人格が見え隠れする。そしてそうした人間的な弱さが、作品の魅力のなって私たちの心の奥深くに訴えるのだろう。

この秋、私は船橋フィルとともにマーラーの5番に挑戦する。これまでにもいくつかのマーラーの作品を演奏してきたが、今回の5番のテーマは「生と死」。19世紀末から百年たった今もかわることのない永遠のテーマだ。音楽の表現を通して、少しでもマーラーの本質に迫ることができたらと思い、今日もまたスコアとにらめっこである。


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