田久保 裕一 の “エッセイ集”


2000年4月1日
・・・時の流れを楽しむ・・・


 毎日が分単位のスケジュールで時計とにらめっこしながら生活している私にとって、なにげなくゆったりと時間が流れていく瞬間を味わったときに新鮮な感情を抱くものである。散髪はこのところ旅先で手短に済ましてしまうことが多かったのだが、先日時間があったので一年ぶりに行きつけのヘアーサロンに行った。ここはもう三十年来お世話になっている床屋さん。私の写真付きのカルテもあって、だまって座っていれば事足りる。そう言えば白髪は増えたものの私のこの髪型は、高校時代からほとんど変わっていないのだ。久しぶりに髪を切り、時間をかけてマッサージをしてもらっているときの、ゆったりとした何とも言えない時の流れを楽しむことができた。今まで気付かなかったことでも、ふとしたことで新鮮に思える時があるものだと実感した。世のご婦人方の中には、気分転換に美容院に行く方もいらっしゃると聞く。きっとただただ髪を切るだけでなくそうしたやすらぎも求めているのではないだろうか。

 先日三重県尾鷲市に仕事で行ったときのこと。知り合いに紹介されて夕食をいただきに「八鬼の郷」という、一風かわったネーミングの料理屋に行った。ホテルまで店のご主人が迎えにきてくれて、尾鷲市内から車で約十分のところにその「郷」はあった。「ウチの料理は素人で、田舎料理だから」と車の中で説明するご主人。普段はみかん園を営んでおられるが、予約があると奥様の料理をお出しするそうだ。

 車はどんどん山を登っていき、いよいよみかん園に着いた。通された部屋を見て感動が走った。尾鷲の夜景が一望できる「いろりの部屋」だったのだ。特に豪華な造りではないが、こじんまりとした東屋風の建物で、見晴らしの良い眺めが何よりのご馳走である。一品ずつサンダル履きの女将さんが運んでくれる料理はアマコという珍しい川魚が中心で、どれも味が整っていて、田舎料理とは言え、そこには上品な趣と心が込められていた。そして圧巻は鴨鍋。女将さんが目の前の囲炉裏に炭を足し、野菜や肉を鍋にゆっくり入れていく。囲炉裏とはよくできたもので、中程の閂(かんぬき)のようなところで調節して、火と鍋の間隔を微妙変えることができる。具をよそるときには、相手が取りやすいように、吊り縄の上の方をそっと押して寄せてやる。経験がないとは言え、私はそんなことも知らなかったのである。昔の人は何と賢かったことか。今では合理化が進み何でも便利な世の中になったが、先人から学ぶ知恵はまだまだ数多くあるものだ。

 女将さんのそんなお話を聞いているうちに鴨鍋が炊けてきた。ぐつぐつと煮えてくる音を聞いているだけで、日本人に生まれてきた幸せを感じるのだった。

 三時間くらいかけた夕食。ゆっくりとした時間の流れが喧騒の現実を忘れさせてくれるひとときであった。

船橋市民新聞 <4月1日発行のエッセイ>より

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