田久保 裕一 の “エッセイ集”


2000年2月1日
・・・ベルリンでの年越し・・・


 今年の年越しは海外ですることになった。外務省が開催する「ドイツにおける日本年」の一貫として、滋賀県彦根市のオーケストラ、合唱団を中心に有志が集い、ベルリン市内のSFB大ホールで、ベートーヴェンの第九交響曲を演奏してきた。年越しのカウントダウンパ−ティまでやってきた。

 現地の合唱団の方にも七十名ほどエキストラで参加していただき、公演は大成功に終わることができた。彦根市では第九の演奏は一昨年に始まったばかり。まさに二年目の快挙であった。その指揮者として同行させていただいたことを大変光栄に思っている。

 日本でもミレニアムブ−ムは続いているが、これはちょっとおかしな現象なのである。元来ミレニアムとはキリスト教信者の中で大きな意味をもつ。キリストが再臨してこの世を統治するという神聖な千年間。それをお祝いするという至福の時なのだから、仏教信者の多い日本人がミレニアムで盛り上がるのは、クリスマスのときと同じような感覚と言っていいだろう。

 この第九公演には旧東の合唱団と西の合唱団が参加してくださった。後日わかったことだが、ベルリンの壁が崩壊して十年がたった今でも、ドイツの方は旧東、西の感情をもっているとのこと。ドイツ人にとって東西の分裂は、我々の想像以上に大きなしこりとなっていたのだ。そんな中、東西の合唱団がミレニアムコンサートでステージを共にし、しかも「歓喜の歌」を歌ったことは大変意義深いことだったようだ。来場された何人もの聴衆の目に涙が光っていたのを思い出す。

 海外での年越しは私としては初めてのことで、その習慣の違いを目のあたりにした。日本でもテレビ等で放送されていたのでご覧になった方も多いと思うが、ベルリンの象徴であるブランデンブルク門付近は年越しの準備のために数日前から車の進入禁止となり、そしてあのような派手なレーザー光線と花火の祭典に至ったのである。

 それにも増して驚いたのは一般市民(といっても若者が中心だが)が、異常なほど花火に興じている姿だ。普段は花火をやってはいけないそうで、許可されているのが大晦日のみ。販売も前日からとなっている。だから大晦日は町のあちこちで爆竹や危険な花火のやり放題。道を歩く私の目の前をロケット花火が右へ左へと飛んでいくので、危なくて歩けない。実際この日は火傷や怪我で救急車の出動がひっきりなしだった。翌日の広場は花火の残骸とワインの空瓶で足の踏み場もないほど。早朝から市の清掃員が総出でショベルカーやトラックを出し、後片付けをしているのが印象的であった。

 一家団欒こたつに入って、みかんの皮をむき、除夜の鐘を聞きながら新年を迎えるという、日本の伝統的な年越しが妙になつかしくなった。



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