田久保 裕一 の “エッセイ集”


2000年1月1日
・・・これからの千年・・・


 Y2K問題で会社で年越しを強いられるサラリーマンが多い中、あわただしく西暦2000年を迎えた。世の中どこもかしこも「ミレニアム」とかで、盛り上がっているが、単に商業戦線に踊らされているように思えるのは、私だけだろうか。2000と名の付く商品の何と多いことか。まあそれで経済が活性化して、景気回復につながれば、ありがたいことだが。

 確かに2000年の幕開けはおめでたいことではあるが、こうして暖かい部屋で正月を迎えることのできる喜びを、あらためてかみしめてみることも大切だ。相変わらず、神戸では仮設住宅に住まわれている人々がいる。コソボの難民や、トルコや台湾の大地震の被災者たちは、温かい食事をとることができているのだろうか。

 我が家からも昨年「難民を助ける会」を通じてコソボにセーターを送ったが、たった十数着ほど献品したところで、あまり効果もないことは承知の上だ。でも世界中の人が少しずつでも助け合う気持ちを寄せ合えば、大きな力となるだろう。10年程前に流行した「ウィ・アー・ザ・ワールド」の歌を、もう一度子供たちと聴いてみることにしよう。

 さて、千年というと私たちにとっては想像もできないほどの長い年月だ。過去の千年には、めざましい文明の発達をみた。しかしその代償として、環境破壊という恐ろしい結果を生み出してしまった。近い将来、地球資源は底をつくことになる。そうなった時、我々はやはり原子力に頼ることになるのだろうか。電気自動車の開発などは世界のメーカーが資本を出しあって共同で研究を進めていく必要があると言われていて、最近ではそのような傾向も見られ喜ばしい限りだ。これからの社会、何においてもこのような協力態勢こそが大切だと思う。

 地球温暖化についても、未だ解決策は見いだされていない。いつもはファミコンの奪い合いをしている子供たちだが、ある日小学1年の娘が、4年生の兄に「ねえ、何で地球の空気は宇宙に逃げていかないの?」との質問に、息子は「それはね、オゾンという見えない壁があって…。でもそのオゾンが、今だんだん壊れてきていて…」と説明をしていた。この会話を耳にした私は、学校教育のありがたさを痛感したのであった。

 私たちはあと数十年しか生きられないが、子供たちはその後を、また私たちの子孫は、次の千年を生きていくわけである。果たしてその将来は明るいのであろうか。いや、そうやって不安をただただ感じているだけでなく、できることから一つずつ解決をしていこう。明るい未来を信じて。

 正月早々、堅いことを書いてしまったが、今の私は新年を手放しでは喜んでいられない心境だ。

船橋市民新聞 <1月1日発行のエッセイ>より   


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